夏目漱石.com
このサイトを検索
home
「額の男」を読む
『伝説の時代』序
『土』に就て
『心』自序
『東洋美術図譜』
『煤煙』の序
こころ
それから
イズムの功過
カーライル博物館
ケーベル先生
ケーベル先生の告別
コンラッドの描きたる自然について
マードック先生の『日本歴史』
一夜
三四郎
三山居士
中味と形式
予の描かんと欲する作品
二百十日
京に着ける夕
人生
余と万年筆
作物の批評
倫敦塔
倫敦消息
僕の昔
元日
入社の辞
写生文
処女作追懐談
初秋の一日
創作家の態度
博士問題とマードック先生と余
博士問題の成行
吾輩は猫である
吾輩は猫である自序
坊ちゃん
坑夫
変な音
夢十夜
子規の画
学者と名誉
岡本一平著並画『探訪画趣』序
幻影の盾
彼岸過迄
思い出す事など
戦争からきた行き違い
手紙
教育と文芸
文壇の趨勢
文士の生活
文芸とヒロイツク
文芸と道徳
文芸の哲学的基礎
文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎
文芸委員は何をするか
文鳥
明暗
明治座の所感を虚子君に問れて
木下杢太郎著『唐草表紙』序
模倣と独立
正岡子規
永日小品
満韓ところどころ
点頭録
無題
現代日本の開化
琴のそら音
田山花袋君に答う
硝子戸の中
私の個人主義
私の経過した学生時代
自然を写す文章
自転車日記
艇長の遺書と中佐の詩
草枕
落第
薤露行
虚子君へ
虞美人草
行人
西洋にはない
趣味の遺伝
道楽と職業
道草
野分
鈴木三重吉宛書簡-明治三十九年
長塚節氏の小説「土」
長谷川君と余
門
高浜虚子著『鶏頭』序
サイトマップ
home
>
草枕
一
山路やまみちを登りながら、こう考えた。
智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。
人の世
を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った
人の世
が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば
人でなし
の国へ行くばかりだ。
人でなし
の国は
人の世
よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊たっとい。
住みにくき世から、住みにくき煩わずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画えである。あるは音楽と彫刻である。こまかに云いえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧わく。着想を紙に落さぬとも
鏘きゅうそうの音おんは胸裏きょうりに起おこる。丹青たんせいは画架がかに向って塗抹とまつせんでも五彩ごさいの絢爛けんらんは自おのずから心眼しんがんに映る。ただおのが住む世を、かく観かんじ得て、霊台方寸れいだいほうすんのカメラに澆季溷濁ぎょうきこんだくの俗界を清くうららかに収め得うれば足たる。この故に無声むせいの詩人には一句なく、無色むしょくの画家には尺
せっけんなきも、かく人世じんせいを観じ得るの点において、かく煩悩ぼんのうを解脱げだつするの点において、かく清浄界しょうじょうかいに出入しゅつにゅうし得るの点において、またこの不同不二ふどうふじの乾坤けんこんを建立こんりゅうし得るの点において、我利私慾がりしよくの覊絆きはんを掃蕩そうとうするの点において、――千金せんきんの子よりも、万乗ばんじょうの君よりも、あらゆる俗界の寵児ちょうじよりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏ひょうりのごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日こんにちはこう思うている。――喜びの深きとき憂うれいいよいよ深く、楽たのしみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖ふえれば寝ねる間まも心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支ささえている。背中せなかには重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽あき足たらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
余よの考かんがえがここまで漂流して来た時に、余の右足うそくは突然坐すわりのわるい角石かくいしの端はしを踏み損そくなった。平衡へいこうを保つために、すわやと前に飛び出した左足さそくが、仕損しそんじの埋うめ合あわせをすると共に、余の腰は具合よく方ほう三尺ほどな岩の上に卸おりた。肩にかけた絵の具箱が腋わきの下から躍おどり出しただけで、幸いと何なんの事もなかった。
立ち上がる時に向うを見ると、路みちから左の方にバケツを伏せたような峰が聳そびえている。杉か檜ひのきか分からないが根元ねもとから頂いただきまでことごとく蒼黒あおぐろい中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引たなびいて、続つぎ目めが確しかと見えぬくらい靄もやが濃い。少し手前に禿山はげやまが一つ、群ぐんをぬきんでて眉まゆに逼せまる。禿はげた側面は巨人の斧おので削けずり去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋うずめている。天辺てっぺんに一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然はっきりしている。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布けっとが動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義なんぎだ。
土をならすだけならさほど手間てまも入いるまいが、土の中には大きな石がある。土は平たいらにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩ほりくずした土の上に悠然ゆうぜんと峙そばだって、吾らのために道を譲る景色けしきはない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌いわのない所でさえ歩あるきよくはない。左右が高くって、中心が窪くぼんで、まるで一間幅はばを三角に穿くって、その頂点が真中まんなかを貫つらぬいていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉わたると云う方が適当だ。固もとより急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲ななまがりへかかる。
たちまち足の下で雲雀ひばりの声がし出した。谷を見下みおろしたが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙せわしく、絶間たえまなく鳴いている。方幾里ほういくりの空気が一面に蚤のみに刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音ねには瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句あげくは、流れて雲に入いって、漂ただようているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡うちに残るのかも知れない。
巌角いわかどを鋭どく廻って、按摩あんまなら真逆様まっさかさまに落つるところを、際きわどく右へ切れて、横に見下みおろすと、菜なの花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金こがねの原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上あがる雲雀ひばりが十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦すれ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
春は眠くなる。猫は鼠を捕とる事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂たましいの居所いどころさえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒さめる。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然はんぜんする。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦あんしょうして見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
We look before and after
And pine for what is not:
Our sincerest laughter
With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前をみては、後しりえを見ては、物欲ものほしと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極きわみの歌に、悲しさの、極みの想おもい、籠こもるとぞ知れ」
なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳わけには行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛ばんこくの愁うれいなどと云う字がある。詩人だから万斛で素人しろうとなら一合ごうで済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨ぼんこつの倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲かなしみも多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
しばらくは路が平たいらで、右は雑木山ぞうきやま、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英たんぽぽを踏みつける。鋸のこぎりのような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠たまを擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座ちんざしている。呑気のんきなものだ。また考えをつづける。
詩人に憂うれいはつきものかも知れないが、あの雲雀ひばりを聞く心持になれば微塵みじんの苦くもない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍おどるばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物けいぶつに接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥くたびれて、旨うまいものが食べられぬくらいの事だろう。
しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅ぷくの画えとして観み、一巻かんの詩として読むからである。画がであり詩である以上は地面じめんを貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲ひともうけする了見りょうけんも起らぬ。ただこの景色が――腹の足たしにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴ともなわぬのだろう。自然の力はここにおいて尊たっとい。吾人の性情を瞬刻に陶冶とうやして醇乎じゅんことして醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局きょくに当れば利害の旋風つむじに捲まき込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩くらんでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解げしかねる。
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観みて面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚たなへ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
それすら、普通の芝居や小説では人情を免まぬかれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄とりえは利慾が交まじらぬと云う点に存そんするかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒じょうしょは常よりは余計に活動するだろう。それが嫌いやだ。
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通しとおして、飽々あきあきした。飽あき飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞こぶするようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界じんかいを離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌しいかの純粋なるものもこの境きょうを解脱げだつする事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世うきよの勧工場かんこうばにあるものだけで用を弁べんじている。いくら詩的になっても地面の上を馳かけてあるいて、銭ぜにの勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀ひばりを聞いて嘆息したのも無理はない。
うれしい事に東洋の詩歌しいかはそこを解脱げだつしたのがある。採菊きくをとる東籬下とうりのもと、悠然ゆうぜんとして見南山なんざんをみる。ただそれぎりの裏うちに暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗のぞいてる訳でもなければ、南山なんざんに親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的しゅっせけんてきに利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独ひとり坐幽篁裏ゆうこうのうちにざし、弾琴きんをだんじて復長嘯またちょうしょうす、深林しんりん人不知ひとしらず、明月来めいげつきたりて相照あいてらす。ただ二十字のうちに優ゆうに別乾坤べつけんこんを建立こんりゅうしている。この乾坤の功徳くどくは「不如帰ほととぎす」や「金色夜叉こんじきやしゃ」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後のちに、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気のんきな扁舟へんしゅうを泛うかべてこの桃源とうげんに溯さかのぼるものはないようだ。余は固もとより詩人を職業にしておらんから、王維おういや淵明えんめいの境界きょうがいを今の世に布教ふきょうして広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人ひとり絵の具箱と三脚几さんきゃくきを担かついで春の山路やまじをのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間までも非人情ひにんじょうの天地に逍遥しょうようしたいからの願ねがい。一つの酔興すいきょうだ。
もちろん人間の一分子いちぶんしだから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳わけには行かぬ。淵明だって年ねんが年中ねんじゅう南山なんざんを見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪たけやぶの中に蚊帳かやを釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生はえた筍たけのこは八百屋やおやへ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募つのってはおらん。こんな所でも人間に逢あう。じんじん端折ばしょりの頬冠ほおかむりや、赤い腰巻こしまきの姉あねさんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜ひのきに取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑のんだり吐いたりしても、人の臭においはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵こよいの宿は那古井なこいの温泉場おんせんばだ。
ただ、物は見様みようでどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言ことばに、あの鐘かねの音おとを聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第みようしだいでいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路うきよこうじの何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見おのうはいけんの時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落しちきおちでも、墨田川すみだがわでも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情じょう三分芸ぶげい七分で見せるわざだ。我らが能から享うけるありがた味は下界の人情をよく
そのまま
に写す手際てぎわから出てくるのではない。
そのまま
の上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長ゆうちょうな振舞ふるまいをするからである。
しばらくこの旅中りょちゅうに起る出来事と、旅中に出逢であう人間を能の仕組しくみと能役者の所作しょさに見立てたらどうだろう。まるで人情を棄すてる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕こぎつけたいものだ。南山なんざんや幽篁ゆうこうとは性たちの違ったものに相違ないし、また雲雀ひばりや菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視みてみたい。芭蕉ばしょうと云う男は枕元まくらもとへ馬が尿いばりするのをさえ雅がな事と見立てて発句ほっくにした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺じいさんも婆ばあさんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似まねをするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探さぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤じんじかっとうの詮議立せんぎだてをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差さし支つかえない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳わけに行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐ふところには容易に飛び込めない訳だから、つまりは画えの前へ立って、画中の人物が画面の中うちをあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間あいだ三尺も隔へだてていれば落ちついて見られる。あぶな気げなしに見られる。言ことばを換かえて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙あげて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識かんしきする事が出来る。
ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂もたれ懸かかっていたと思ったが、いつのまにか、崩くずれ出だして、四方しほうはただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾とくに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃こまやかでほとんど霧を欺あざむくくらいだから、隔へだたりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背せが右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾すそと見える。深く罩こめる雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
路は存外ぞんがい広くなって、かつ平たいらだから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂あまだれがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子まごがふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡ぬれたね」
まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画かげえのように雨につつまれて、またふうと消えた。
糠ぬかのように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋ひとすじごとに風に捲まかれる様さままでが目に入いる。羽織はとくに濡れ尽つくして肌着に浸しみ込んだ水が、身体からだの温度ぬくもりで生暖なまあたたかく感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行あるく。
茫々ぼうぼうたる薄墨色うすずみいろの世界を、幾条いくじょうの銀箭ぎんせんが斜ななめに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏よまれる。有体ありていなる己おのれを忘れ尽つくして純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保たもつ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡がりの人にもあらず。依然として市井しせいの一豎子じゅしに過ぎぬ。雲煙飛動の趣おもむきも眼に入いらぬ。落花啼鳥らっかていちょうの情けも心に浮ばぬ。蕭々しょうしょうとして独ひとり春山しゅんざんを行く吾われの、いかに美しきかはなおさらに解かいせぬ。初めは帽を傾けて歩行あるいた。後のちにはただ足の甲こうのみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目まんもくの樹梢じゅしょうを揺うごかして四方しほうより孤客こかくに逼せまる。非人情がちと強過ぎたようだ。
二
「おい」と声を掛けたが返事がない。
軒下のきしたから奥を覗のぞくと煤すすけた障子しょうじが立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋わらじが淋さびしそうに庇ひさしから吊つるされて、屈托気くったくげにふらりふらりと揺れる。下に駄菓子だがしの箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭ぶんきゅうせんが散らばっている。
「おい」とまた声をかける。土間の隅すみに片寄せてある臼うすの上に、ふくれていた鶏にわとりが、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈どべっついが、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜ちゃがまがかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は焚たきつけてある。
返事がないから、無断でずっと這入はいって、床几しょうぎの上へ腰を卸おろした。鶏にわとりは羽摶はばたきをして臼うすから飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子しょうじがしめてなければ奥まで馳かけぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か狗いぬのように考えているらしい。床几の上には一升枡いっしょうますほどな煙草盆たばこぼんが閑静に控えて、中にはとぐろを捲まいた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長ゆうちょうに燻いぶっている。雨はしだいに収まる。
しばらくすると、奥の方から足音がして、煤すすけた障子がさらりと開あく。なかから一人の婆さんが出る。
どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈へついに火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気のんきに燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世みせを明あけ放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
二三年前宝生ほうしょうの舞台で高砂たかさごを見た事がある。その時これはうつくしい活人画かつじんがだと思った。箒ほうきを担かついだ爺さんが橋懸はしがかりを五六歩来て、そろりと後向うしろむきになって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真まむきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」
「はい、これは、いっこう存じませんで」
「だいぶ降ったね」
「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお濡ぬれなさった。今火を焚たいて乾かわかして上げましょ」
「そこをもう少し燃もしつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しっしっと二声ふたこえで鶏にわとりを追い下さげる。ここここと馳かけ出した夫婦は、焦茶色こげちゃいろの畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞ふんを垂たれた。
「まあ一つ」と婆さんはいつの間まにか刳くり抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く焦こげている底に、一筆ひとふでがきの梅の花が三輪無雑作むぞうさに焼き付けられている。
「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ごまねじと微塵棒みじんぼうを持ってくる。糞ふんはどこぞに着いておらぬかと眺ながめて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。
婆さんは袖無そでなしの上から、襷たすきをかけて、竈へっついの前へうずくまる。余は懐ふところから写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。
「閑静でいいね」
「へえ、御覧の通りの山里やまざとで」
「鶯うぐいすは鳴くかね」
「ええ毎日のように鳴きます。此辺ここらは夏も鳴きます」
「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」
「あいにく今日きょうは――先刻さっきの雨でどこぞへ逃げました」
折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が颯さっと風を起して一尺あまり吹き出す。
「さあ、御おあたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端のきばを見ると青い煙りが、突き当って崩くずれながらに、微かすかな痕あとをまだ板庇いたびさしにからんでいる。
「ああ、好いい心持ちだ、御蔭おかげで生き返った」
「いい具合に雨も晴れました。そら天狗巌てんぐいわが見え出しました」
逡巡しゅんじゅんとして曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山ぜんざんの一角いっかくは、未練もなく晴れ尽して、老嫗ろううの指さす方かたに
さんがんと、あら削けずりの柱のごとく聳そびえるのが天狗岩だそうだ。
余はまず天狗巌を眺ながめて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々はんはんに両方を見比みくらべた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂たかさごの媼ばばと、蘆雪ろせつのかいた山姥やまうばのみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄ものすごいものだと感じた。紅葉もみじのなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生ほうしょうの別会能べつかいのうを観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面めんは定めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、穏おだやかに、あたたかに見える。金屏きんびょうにも、春風はるかぜにも、あるは桜にもあしらって差さし支つかえない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳かざして、遠く向うを指ゆびさしている、袖無し姿の婆さんを、春の山路やまじの景物として恰好かっこうなものだと考えた。余が写生帖を取り上げて、今しばらくという途端とたんに、婆さんの姿勢は崩れた。
手持無沙汰てもちぶさたに写生帖を、火にあてて乾かわかしながら、
「御婆さん、丈夫そうだね」と訊たずねた。
「はい。ありがたい事に達者で――針も持ちます、苧おもうみます、御団子おだんごの粉こも磨ひきます」
この御婆さんに石臼いしうすを挽ひかして見たくなった。しかしそんな注文も出来ぬから、
「ここから那古井なこいまでは一里足たらずだったね」と別な事を聞いて見る。
「はい、二十八丁と申します。旦那だんなは湯治とうじに御越おこしで……」
「込み合わなければ、少し逗留とうりゅうしようかと思うが、まあ気が向けばさ」
「いえ、戦争が始まりましてから、頓とんと参るものは御座いません。まるで締め切り同様で御座います」
「妙な事だね。それじゃ泊とめてくれないかも知れんね」
「いえ、御頼みになればいつでも宿とめます」
「宿屋はたった一軒だったね」
「へえ、志保田しほださんと御聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません」
「じゃ御客がなくても平気な訳だ」
「旦那は始めてで」
「いや、久しい以前ちょっと行った事がある」
会話はちょっと途切とぎれる。帳面をあけて先刻さっきの鶏を静かに写生していると、落ちついた耳の底へじゃらんじゃらんと云う馬の鈴が聴きこえ出した。この声がおのずと、拍子ひょうしをとって頭の中に一種の調子が出来る。眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘われるような心持ちである。余は鶏の写生をやめて、同じページの端はじに、
春風や惟然いねんが耳に馬の鈴
と書いて見た。山を登ってから、馬には五六匹逢った。逢った五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。今の世の馬とは思われない。
やがて長閑のどかな馬子唄まごうたが、春に更ふけた空山一路くうざんいちろの夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても画えにかいた声だ。
馬子唄まごうたの鈴鹿すずか越ゆるや春の雨
と、今度は斜はすに書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。
「また誰ぞ来ました」と婆さんが半なかば独ひとり言ごとのように云う。
ただ一条ひとすじの春の路だから、行くも帰るも皆近づきと見える。最前逢おうた五六匹のじゃらんじゃらんもことごとくこの婆さんの腹の中でまた誰ぞ来たと思われては山を下くだり、思われては山を登ったのだろう。路寂寞じゃくまくと古今ここんの春を貫つらぬいて、花を厭いとえば足を着くるに地なき小村こむらに、婆さんは幾年いくねんの昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日こんにちの白頭はくとうに至ったのだろう。
馬子まご唄や白髪しらがも染めで暮るる春
と次のページへ認したためたが、これでは自分の感じを云い終おおせない、もう少し工夫くふうのありそうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考えた。何でも
白髪
という字を入れて、
幾代の節
と云う句を入れて、
馬子唄
という題も入れて、春の季きも加えて、それを十七字に纏まとめたいと工夫しているうちに、
「はい、今日は」と実物の馬子が店先に留とまって大きな声をかける。
「おや源さんか。また城下へ行くかい」
「何か買物があるなら頼まれて上げよ」
「そうさ、鍛冶町かじちょうを通ったら、娘に霊厳寺れいがんじの御札おふだを一枚もらってきておくれなさい」
「はい、貰ってきよ。一枚か。――御秋おあきさんは善よい所へ片づいて仕合せだ。な、御叔母おばさん」
「ありがたい事に今日こんにちには困りません。まあ仕合せと云うのだろか」
「仕合せとも、御前。あの那古井なこいの嬢さまと比べて御覧」
「本当に御気の毒な。あんな器量を持って。近頃はちっとは具合がいいかい」
「なあに、相変らずさ」
「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。
「困るよう」と源さんが馬の鼻を撫なでる。
枝繁えだしげき山桜の葉も花も、深い空から落ちたままなる雨の塊かたまりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、仮かりの住居すまいを、さらさらと転ころげ落ちる。馬は驚ろいて、長い鬣たてがみを上下うえしたに振る。
「コーラッ」と叱しかりつける源さんの声が、じゃらん、じゃらんと共に余の冥想めいそうを破る。
御婆さんが云う。「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前めさきに散らついている。裾模様すそもようの振袖ふりそでに、高島田たかしまだで、馬に乗って……」
「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、御叔母おばさん」
「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田に斑ふが出来ました」
余はまた写生帖をあける。この景色は画えにもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像して見てしたり顔に、
花の頃を越えてかしこし馬に嫁
と書きつける。不思議な事には衣装いしょうも髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影おもかげが忽然こつぜんと出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、せっかくの図面を早速さっそく取り崩くずす。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗きれいに立ち退のいたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧もうろうと胸の底に残って、棕梠箒しゅろぼうきで煙を払うように、さっぱりしなかった。空に尾を曳ひく彗星すいせいの何となく妙な気になる。
「それじゃ、まあ御免」と源さんが挨拶あいさつする。
「帰りにまた御寄おより。あいにくの降りで七曲ななまがりは難義だろ」
「はい、少し骨が折れよ」と源さんは歩行あるき出す。源さんの馬も歩行出す。じゃらんじゃらん。
「あれは那古井なこいの男かい」
「はい、那古井の源兵衛で御座んす」
「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乗せて、峠とうげを越したのかい」
「志保田の嬢様が城下へ御輿入おこしいれのときに、嬢様を青馬あおに乗せて、源兵衛が覊絏はづなを牽ひいて通りました。――月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」
鏡に対むかうときのみ、わが頭の白きを喞かこつものは幸の部に属する人である。指を折って始めて、五年の流光に、転輪の疾とき趣おもむきを解し得たる婆さんは、人間としてはむしろ仙せんに近づける方だろう。余はこう答えた。
「さぞ美くしかったろう。見にくればよかった」
「ハハハ今でも御覧になれます。湯治場とうじばへ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」
「はあ、今では里にいるのかい。やはり裾模様すそもようの振袖ふりそでを着て、高島田に結いっていればいいが」
「たのんで御覧なされ。着て見せましょ」
余はまさかと思ったが、婆さんの様子は存外真面目まじめである。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆さんが云う。
「嬢様と長良ながらの乙女おとめとはよく似ております」
「顔がかい」
「いいえ。身の成り行きがで御座んす」
「へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい」
「昔むかしこの村に長良の乙女と云う、美くしい長者ちょうじゃの娘が御座りましたそうな」
「へえ」
「ところがその娘に二人の男が一度に懸想けそうして、あなた」
「なるほど」
「ささだ男に靡なびこうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩わずらったが、どちらへも靡きかねて、とうとう
あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも
と云う歌を咏よんで、淵川ふちかわへ身を投げて果はてました」
余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅こがな言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。
「これから五丁東へ下くだると、道端みちばたに五輪塔ごりんのとうが御座んす。ついでに長良ながらの乙女おとめの墓を見て御行きなされ」
余は心のうちに是非見て行こうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつづける。
「那古井の嬢様にも二人の男が祟たたりました。一人は嬢様が京都へ修行に出て御出おいでの頃御逢おあいなさったので、一人はここの城下で随一の物持ちで御座んす」
「はあ、御嬢さんはどっちへ靡いたかい」
「御自身は是非京都の方へと御望みなさったのを、そこには色々な理由わけもありましたろが、親ご様が無理にこちらへ取りきめて……」
「めでたく、淵川ふちかわへ身を投げんでも済んだ訳だね」
「ところが――先方さきでも器量望みで御貰おもらいなさったのだから、随分大事にはなさったかも知れませぬが、もともと強しいられて御出なさったのだから、どうも折合おりあいがわるくて、御親類でもだいぶ御心配の様子で御座んした。ところへ今度の戦争で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれました。それから嬢様はまた那古井の方へ御帰りになります。世間では嬢様の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは極々ごくごく内気うちきの優しいかたが、この頃ではだいぶ気が荒くなって、何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。……」
これからさきを聞くと、せっかくの趣向しゅこうが壊こわれる。ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て羽衣はごろもを帰せ帰せと催促さいそくするような気がする。七曲ななまがりの険を冒おかして、やっとの思おもいで、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり下おろされては、飄然ひょうぜんと家を出た甲斐かいがない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭においが毛孔けあなから染込しみこんで、垢あかで身体からだが重くなる。
「御婆さん、那古井へは一筋道だね」と十銭銀貨を一枚床几しょうぎの上へかちりと投げ出して立ち上がる。
「長良ながらの五輪塔から右へ御下おくだりなさると、六丁ほどの近道になります。路みちはわるいが、御若い方にはその方ほうがよろしかろ。――これは多分に御茶代を――気をつけて御越しなされ」
三
昨夕ゆうべは妙な気持ちがした。
宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合ぐあい庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。昔むかし来た時とはまるで見当が違う。晩餐ばんさんを済まして、湯に入いって、室へやへ帰って茶を飲んでいると、小女こおんなが来て床とこを延のべよかと云いう。
不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩食ばんめしの給仕も、湯壺ゆつぼへの案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は滅多めったにきかぬ。と云うて、田舎染いなかじみてもおらぬ。赤い帯を色気いろけなく結んで、古風な紙燭しそくをつけて、廊下のような、梯子段はしごだんのような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降おりて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。
給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段ふだん使っている部屋で我慢してくれと云った。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へ遠とおざかった時に、あとがひっそりとして、人の気けがしないのが気になった。
生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房州ぼうしゅうを館山たてやまから向うへ突き抜けて、上総かずさから銚子ちょうしまで浜伝いに歩行あるいた事がある。その時ある晩、ある所へ宿とまった。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。棟むねの高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間まをいくつも通り越して一番奥の、中二階ちゅうにかいへ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入はいろうとすると、板庇いたびさしの下に傾かたむきかけていた一叢ひとむらの修竹しゅうちくが、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫なでたので、すでにひやりとした。椽板えんいたはすでに朽くちかかっている。来年は筍たけのこが椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
その晩は例の竹が、枕元で婆娑ばさついて、寝られない。障子しょうじをあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明つきあきらかなるに、眼を走はしらせると、垣も塀へいもあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原おおうなばらでどどんどどんと大きな濤なみが人の世を威嚇おどかしに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳かやのうちに辛防しんぼうしながら、まるで草双紙くさぞうしにでもありそうな事だと考えた。
その後ご旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。
仰向あおむけに寝ながら、偶然目を開あけて見ると欄間らんまに、朱塗しゅぬりの縁ふちをとった額がくがかかっている。文字もじは寝ながらも竹影ちくえい払階かいをはらって塵不動ちりうごかずと明らかに読まれる。大徹だいてつという落款らっかんもたしかに見える。余は書においては皆無鑒識かいむかんしきのない男だが、平生から、黄檗おうばくの高泉和尚こうせんおしょうの筆致ひっちを愛している。隠元いんげんも即非そくひも木庵もくあんもそれぞれに面白味はあるが、高泉こうせんの字が一番蒼勁そうけいでしかも雅馴がじゅんである。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかし現げんに大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
横を向く。床とこにかかっている若冲じゃくちゅうの鶴の図が目につく。これは商売柄しょうばいがらだけに、部屋に這入はいった時、すでに逸品いっぴんと認めた。若冲の図は大抵精緻せいちな彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼きがねなしの一筆ひとふでがきで、一本足ですらりと立った上に、卵形たまごなりの胴がふわっと乗のっかっている様子は、はなはだ吾意わがいを得て、飄逸ひょういつの趣おもむきは、長い嘴はしのさきまで籠こもっている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。
すやすやと寝入る。夢に。
長良ながらの乙女おとめが振袖を着て、青馬あおに乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上のぼって、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿さおを持って、向島むこうじまを追懸おっかけて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末ゆくえも知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
そこで眼が醒さめた。腋わきの下から汗が出ている。妙に雅俗混淆がぞくこんこうな夢を見たものだと思った。昔し宋そうの大慧禅師だいえぜんじと云う人は、悟道の後のち、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性命せいめいにするものは今少しうつくしい夢を見なければ幅はばが利きかない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子しょうじに月がさして、木の枝が二三本斜ななめに影をひたしている。冴さえるほどの春の夜よだ。
気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛まぎれ込んだのかと耳を峙そばだてる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜よに一縷いちるの脈をかすかに搏うたせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良ながらの乙女おとめの歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
初めのうちは椽えんに近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠退とおのいて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、憐あわれはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく自然じねんに細ほそりて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた秒びょうを縮め、分ふんを割さいて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫びょうふのごとく、消えんとしては、消えんとする灯火とうかのごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の恨うらみをことごとく萃あつめたる調べがある。
今までは床とこの中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを慕したって飛んで行きたい気がする。もうどう焦慮あせっても鼓膜こまくに応こたえはあるまいと思う一刹那いっせつなの前、余はたまらなくなって、われ知らず布団ふとんをすり抜けると共にさらりと障子しょうじを開あけた。途端とたんに自分の膝ひざから下が斜ななめに月の光りを浴びる。寝巻ねまきの上にも木の影が揺れながら落ちた。
障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海棠かいどうかと思わるる幹を背せに、よそよそしくも月の光りを忍んで朦朧もうろうたる影法師かげぼうしがいた。あれかと思う意識さえ、確しかとは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み砕くだいて右へ切れた。わがいる部屋つづきの棟むねの角かどが、すらりと動く、背せいの高い女姿を、すぐに遮さえぎってしまう。
借着かりぎの浴衣ゆかた一枚で、障子へつらまったまま、しばらく茫然ぼうぜんとしていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰参きさんして考え出した。括くくり枕まくらのしたから、袂時計たもとどけいを出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化物ばけものではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは此家ここの御嬢さんかも知れない。しかし出帰でがえりの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当ふおんとうだ。何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。怪けしからん。
怖こわいものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄すごい事も、己おのれを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画えになる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿やどるところやら、憂うれいのこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの溢あふるるところやらを、単に客観的に眼前がんぜんに思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、自みずから強しいて煩悶はんもんして、愉快を貪むさぼるものがある。常人じょうにんはこれを評して愚ぐだと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓を描えがいて好このんでその中うちに起臥きがするのは、自から烏有うゆうの山水を刻画こくがして壺中こちゅうの天地てんちに歓喜すると、その芸術的の立脚地りっきゃくちを得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草鞋旅行わらじたびをする間あいだ、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊そうゆうを説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々ちょうちょうして、したり顔である。これはあえて自みずから欺あざむくの、人を偽いつわるのと云う了見りょうけんではない。旅行をする間は
常人
の心持ちで、曾遊を語るときはすでに
詩人
の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角いっかくを磨滅まめつして、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
この故ゆえに天然てんねんにあれ、人事にあれ、衆俗しゅうぞくの辟易へきえきして近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅りんろうを見、無上むじょうの宝
ほうろを知る。俗にこれを名なづけて美化びかと云う。その実は美化でも何でもない。燦爛さんらんたる彩光さいこうは、炳乎へいことして昔から現象世界に実在している。ただ一翳いちえい眼に在あって空花乱墜くうげらんついするが故に、俗累ぞくるいの覊絏牢きせつろうとして絶たちがたきが故に、栄辱得喪えいじょくとくそうのわれに逼せまる事、念々切せつなるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙おうきょが幽霊を描えがくまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰だれが見ても、誰だれに聞かしても饒ゆたかに詩趣を帯びている。――孤村こそんの温泉、――春宵しゅんしょうの花影かえい、――月前げつぜんの低誦ていしょう、――朧夜おぼろよの姿――どれもこれも芸術家の好題目こうだいもくである。この好題目が眼前がんぜんにありながら、余は入いらざる詮義立せんぎだてをして、余計な探さぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟りくつの筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪わるさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜ひょうぼうする価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴ふいちょうする資格はつかぬ。昔し以太利亜イタリアの画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を賭かけにして、山賊の群むれに這入はいり込んだと聞いた事がある。飄然ひょうぜんと画帖を懐ふところにして家を出いでたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。
こんな時にどうすれば詩的な立脚地りっきゃくちに帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据すえつけて、その感じから一歩退しりぞいて有体ありていに落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸しがいを、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近てぢかなのは何なんでも蚊かでも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠かわやに上のぼった時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直あんちょくに詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟さとりであるから軽便だと云って侮蔑ぶべつする必要はない。軽便であればあるほど功徳くどくになるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人ひとりが同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否いなやうれしくなる。涙を十七字に纏まとめた時には、苦しみの涙は自分から遊離ゆうりして、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉うれしさだけの自分になる。
これが平生へいぜいから余の主張である。今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出来たら書きつけないと散漫さんまんになっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。
「海棠かいだうの露をふるふや物狂ものぐるひ」と真先まっさきに書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に「花の影、女の影の朧おぼろかな」とやったが、これは季が重かさなっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて呑気のんきになればいい。それから「正一位しやういちゐ、女に化ばけて朧月おぼろづき」と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。
この調子なら大丈夫と乗気のりきになって出るだけの句をみなかき付ける。
春の星を落して夜半よはのかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今宵こよひ歌つかまつる御姿
海棠かいだうの精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな
などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。
恍惚こうこつと云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには何人なんびとも我を認め得ぬ。明覚めいかくの際には誰たれあって外界がいかいを忘るるものはなかろう。ただ両域の間に縷るのごとき幻境が横よこたわる。醒さめたりと云うには余り朧おぼろにて、眠ると評せんには少しく生気せいきを剰あます。起臥きがの二界を同瓶裏どうへいりに盛りて、詩歌しいかの彩管さいかんをもって、ひたすらに攪かき雑まぜたるがごとき状態を云うのである。自然の色を夢の手前てまえまでぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞かすみの国へ押し流す。睡魔の妖腕ようわんをかりて、ありとある実相の角度を滑なめらかにすると共に、かく和やわらげられたる乾坤けんこんに、われからと微かすかに鈍にぶき脈を通わせる。地を這はう煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わが魂たましいの、わが殻からを離れんとして離るるに忍びざる態ていである。抜け出いでんとして逡巡ためらい、逡巡いては抜け出でんとし、果はては魂と云う個体を、もぎどうに保たもちかねて、氤
いんうんたる瞑氛めいふんが散るともなしに四肢五体に纏綿てんめんして、依々いいたり恋々れんれんたる心持ちである。
余が寤寐ごびの境さかいにかく逍遥しょうようしていると、入口の唐紙からかみがすうと開あいた。あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ心地ここちよく眺ながめている。眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。余が閉とじている瞼まぶたの裏うちに幻影まぼろしの女が断ことわりもなく滑すべり込んで来たのである。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに這入はいる。仙女せんにょの波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。閉ずる眼まなこのなかから見る世の中だから確しかとは解らぬが、色の白い、髪の濃い、襟足えりあしの長い女である。近頃はやる、ぼかした写真を灯影ほかげにすかすような気がする。
まぼろしは戸棚とだなの前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖そでをすべって暗闇くらやみのなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉たたる。余が眠りはしだいに濃こまやかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
いつまで人と馬の相中あいなかに寝ていたかわれは知らぬ。耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は隅すみから隅まで明るい。うららかな春日はるびが丸窓の竹格子たけごうしを黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うものの潜ひそむ余地はなさそうだ。神秘は十万億土じゅうまんおくどへ帰って、三途さんずの川かわの向側むこうがわへ渡ったのだろう。
浴衣ゆかたのまま、風呂場ふろばへ下りて、五分ばかり偶然と湯壺ゆつぼのなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一昨夕ゆうべはどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を界さかいにこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
身体からだを拭ふくさえ退儀たいぎだから、いい加減にして、濡ぬれたまま上あがって、風呂場の戸を内から開あけると、また驚かされた。
「御早う。昨夕ゆうべはよく寝られましたか」
戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出合頭であいがしらの挨拶あいさつだから、さそくの返事も出る遑いとまさえないうちに、
「さ、御召おめしなさい」
と後うしろへ廻って、ふわりと余の背中せなかへ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、途端とたんに女は二三歩退しりぞいた。
昔から小説家は必ず主人公の容貌ようぼうを極力描写することに相場がきまってる。古今東西の言語で、佳人かじんの品評ひんぴょうに使用せられたるものを列挙したならば、大蔵経だいぞうきょうとその量を争うかも知れぬ。この辟易へきえきすべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔へだたりに立つ、体たいを斜ななめに捩ねじって、後目しりめに余が驚愕きょうがくと狼狽ろうばいを心地ここちよげに眺ながめている女を、もっとも適当に叙じょすべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今日こんにちに至るまで未いまだかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、希臘ギリシャの彫刻の理想は、端粛たんしゅくの二字に帰きするそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲ふううんか雷霆らいていか、見わけのつかぬところに余韻よいんが縹緲ひょうびょうと存するから含蓄がんちくの趣おもむきを百世ひゃくせいの後のちに伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然たんぜんたる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁あかつきには、
泥帯水たでいたいすいの陋ろうを遺憾いかんなく示して、本来円満ほんらいえんまんの相そうに戻る訳には行かぬ。この故ゆえに動どうと名のつくものは必ず卑しい。運慶うんけいの仁王におうも、北斎ほくさいの漫画まんがも全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら画工がこうの運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大範疇はんちゅうのいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。
ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静しずかである。眼は五分ごぶのすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨しもぶくれの瓜実形うりざねがたで、豊かに落ちつきを見せているに引き易かえて、額ひたいは狭苦せまくるしくも、こせついて、いわゆる富士額ふじびたいの俗臭ぞくしゅうを帯びている。のみならず眉まゆは両方から逼せまって、中間に数滴の薄荷はっかを点じたるごとく、ぴくぴく焦慮じれている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画えにしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆一癖ひとくせあって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
元来は静せいであるべき大地だいちの一角に陥欠かんけつが起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に背そむくと悟って、力つとめて往昔むかしの姿にもどろうとしたのを、平衡へいこうを失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日こんにちは、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。
それだから軽侮けいぶの裏うらに、何となく人に縋すがりたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎つつしみ深い分別ふんべつがほのめいている。才に任せ、気を負おえば百人の男子を物の数とも思わぬ勢いきおいの下から温和おとなしい情なさけが吾知らず湧わいて出る。どうしても表情に一致がない。悟さとりと迷まよいが一軒の家うちに喧嘩けんかをしながらも同居している体ていだ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧おしつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合ふしあわせな女に違ない。
「ありがとう」と繰り返しながら、ちょっと会釈えしゃくした。
「ほほほほ御部屋は掃除そうじがしてあります。往いって御覧なさい。いずれ後のちほど」
と云うや否いなや、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽気かろげに馳かけて行った。頭は銀杏返いちょうがえしに結いっている。白い襟えりがたぼの下から見える。帯の黒繻子くろじゅすは片側かたかわだけだろう。
四
ぽかんと部屋へ帰ると、なるほど奇麗きれいに掃除がしてある。ちょっと気がかりだから、念のため戸棚をあけて見る。下には小さな用箪笥ようだんすが見える。上から友禅ゆうぜんの扱帯しごきが半分垂たれかかって、いるのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行ったものと解釈が出来る。扱帯の上部はなまめかしい衣裳いしょうの間にかくれて先は見えない。片側には書物が少々詰めてある。一番上に白隠和尚はくいんおしょうの遠良天釜おらてがまと、伊勢物語いせものがたりの一巻が並んでる。昨夕ゆうべのうつつは事実かも知れないと思った。
何気なにげなく座布団ざぶとんの上へ坐ると、唐木からきの机の上に例の写生帖が、鉛筆を挟はさんだまま、大事そうにあけてある。夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だろうと手に取る。
「海棠かいだうの露をふるふや物狂ものぐるひ」の下にだれだか「海棠の露をふるふや朝烏あさがらす」とかいたものがある。鉛筆だから、書体はしかと解わからんが、女にしては硬過かたすぎる、男にしては柔やわらか過ぎる。おやとまた吃驚びっくりする。次を見ると「花の影、女の影の朧おぼろかな」の下に「花の影女の影を重かさねけり」とつけてある。「正一位しやういちゐ女に化けて朧月おぼろづき」の下には「御曹子おんざうし女に化けて朧月」とある。真似まねをしたつもりか、添削てんさくした気か、風流の交まじわりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思わず首を傾かたむけた。
後のちほどと云ったから、今に飯めしの時にでも出て来るかも知れない。出て来たら様子が少しは解るだろう。ときに何時だなと時計を見ると、もう十一時過ぎである。よく寝たものだ。これでは午飯ひるめしだけで間に合せる方が胃のためによかろう。
右側の障子しょうじをあけて、昨夜ゆうべの名残なごりはどの辺へんかなと眺める。海棠かいどうと鑑定したのははたして、海棠であるが、思ったよりも庭は狭い。五六枚の飛石とびいしを一面の青苔あおごけが埋めて、素足すあしで踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。左は山つづきの崖がけに赤松が斜ななめに岩の間から庭の上へさし出している。海棠の後うしろにはちょっとした茂みがあって、奥は大竹藪おおたけやぶが十丈の翠みどりを春の日に曝さらしている。右手は屋やの棟むねで遮さえぎられて、見えぬけれども、地勢から察すると、だらだら下おりに風呂場の方へ落ちているに相違ない。
山が尽きて、岡となり、岡が尽きて、幅三丁ほどの平地へいちとなり、その平地が尽きて、海の底へもぐり込んで、十七里向うへ行ってまた隆然りゅうぜんと起き上って、周囲六里の摩耶島まやじまとなる。これが那古井なこいの地勢である。温泉場は岡の麓ふもとを出来るだけ崖がけへさしかけて、岨そばの景色を半分庭へ囲い込んだ一構ひとかまえであるから、前面は二階でも、後ろは平屋ひらやになる。椽えんから足をぶらさげれば、すぐと踵かかとは苔こけに着く。道理こそ昨夕は楷子段はしごだんをむやみに上のぼったり、下くだったり、異いな仕掛しかけの家うちと思ったはずだ。
今度は左り側の窓をあける。自然と凹くぼむ二畳ばかりの岩のなかに春の水がいつともなく、たまって静かに山桜の影を
ひたしている。二株三株ふたかぶみかぶの熊笹くまざさが岩の角を彩いろどる、向うに枸杞くことも見える生垣いけがきがあって、外は浜から、岡へ上る岨道そばみちか時々人声が聞える。往来の向うはだらだらと南下みなみさがりに蜜柑みかんを植えて、谷の窮きわまる所にまた大きな竹藪が、白く光る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとはこの時初めて知った。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から石磴せきとうが五六段手にとるように見える。大方おおかた御寺だろう。
入口の襖ふすまをあけて椽えんへ出ると、欄干らんかんが四角に曲って、方角から云えば海の見ゆべきはずの所に、中庭を隔へだてて、表二階の一間ひとまがある。わが住む部屋も、欄干に倚よればやはり同じ高さの二階なのには興が催おされる。湯壺ゆつぼは地じの下にあるのだから、入湯にゅうとうと云う点から云えば、余は三層楼上に起臥きがする訳になる。
家は随分広いが、向う二階の一間と、余が欄干に添うて、右へ折れた一間のほかは、居室いま台所は知らず、客間と名がつきそうなのは大抵たいてい立て切ってある。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無かいむなのだろう。〆《しめ》た部屋は昼も雨戸あまどをあけず、あけた以上は夜も閉たてぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いと云う屈強くっきょうな場所だ。
時計は十二時近くなったが飯めしを食わせる景色はさらにない。ようやく空腹を覚えて来たが、空山くうざん不見人ひとをみずと云う詩中にあると思うと、一とかたげぐらい倹約しても遺憾いかんはない。画えをかくのも面倒だ、俳句は作らんでもすでに俳三昧はいざんまいに入っているから、作るだけ野暮やぼだ。読もうと思って三脚几さんきゃくきに括くくりつけて来た二三冊の書籍もほどく気にならん。こうやって、煦々くくたる春日しゅんじつに背中せなかをあぶって、椽側えんがわに花の影と共に寝ころんでいるのが、天下の至楽しらくである。考えれば外道げどうに堕おちる。動くと危ない。出来るならば鼻から呼吸いきもしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして二週間ばかり暮して見たい。
やがて、廊下に足音がして、段々下から誰か上あがってくる。近づくのを聞いていると、二人らしい。それが部屋の前でとまったなと思ったら、一人は何なんにも云わず、元の方へ引き返す。襖ふすまがあいたから、今朝の人と思ったら、やはり昨夜ゆうべの小女郎こじょろうである。何だか物足らぬ。
「遅くなりました」と膳ぜんを据すえる。朝食あさめしの言訳も何にも言わぬ。焼肴やきざかなに青いものをあしらって、椀わんの蓋ふたをとれば早蕨さわらびの中に、紅白に染め抜かれた、海老えびを沈ませてある。ああ好い色だと思って、椀の中を眺ながめていた。
「御嫌おきらいか」と下女が聞く。
「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐ばんさんの席で、皿に盛もるサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍かたわらの人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点から云ったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。そこへ行くと日本の献立こんだては、吸物すいものでも、口取でも、刺身さしみでも物奇麗ものぎれいに出来る。会席膳かいせきぜんを前へ置いて、一箸ひとはしも着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がった甲斐かいは充分ある。
「うちに若い女の人がいるだろう」と椀を置きながら、質問をかけた。
「へえ」
「ありゃ何だい」
「若い奥様でござんす」
「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」
「去年御亡おなくなりました」
「旦那さんは」
「おります。旦那さんの娘さんでござんす」
「あの若い人がかい」
「へえ」
「御客はいるかい」
「おりません」
「わたし一人かい」
「へえ」
「若い奥さんは毎日何をしているかい」
「針仕事を……」
「それから」
「三味しゃみを弾ひきます」
これは意外であった。面白いからまた
「それから」と聞いて見た。
「御寺へ行きます」と小女郎こじょろうが云う。
これはまた意外である。御寺と三味線は妙だ。
「御寺詣まいりをするのかい」
「いいえ、和尚様おしょうさまの所へ行きます」
「和尚さんが三味線でも習うのかい」
「いいえ」
「じゃ何をしに行くのだい」
「大徹様だいてつさまの所へ行きます」
なあるほど、大徹と云うのはこの額を書いた男に相違ない。この句から察すると何でも禅坊主ぜんぼうずらしい。戸棚に遠良天釜おらてがまがあったのは、全くあの女の所持品だろう。
「この部屋は普段誰か這入はいっている所かね」
「普段は奥様がおります」
「それじゃ、昨夕ゆうべ、わたしが来る時までここにいたのだね」
「へえ」
「それは御気の毒な事をした。それで大徹さんの所へ何をしに行くのだい」
「知りません」
「それから」
「何でござんす」
「それから、まだほかに何かするのだろう」
「それから、いろいろ……」
「いろいろって、どんな事を」
「知りません」
会話はこれで切れる。飯はようやく了おわる。膳を引くとき、小女郎が入口の襖ふすまを開あけたら、中庭の栽込うえこみを隔へだてて、向う二階の欄干らんかんに銀杏返いちょうがえしが頬杖ほおづえを突いて、開化した楊柳観音ようりゅうかんのんのように下を見詰めていた。今朝に引き替かえて、はなはだ静かな姿である。俯向うつむいて、瞳の働きが、こちらへ通わないから、相好そうごうにかほどな変化を来たしたものであろうか。昔の人は人に存するもの眸子ぼうしより良きはなしと云ったそうだが、なるほど人焉いずくんぞ
かくさんや、人間のうちで眼ほど活きている道具はない。寂然じゃくねんと倚よる亜字欄あじらんの下から、蝶々ちょうちょうが二羽寄りつ離れつ舞い上がる。途端とたんにわが部屋の襖ふすまはあいたのである。襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余の方かたに転じた。視線は毒矢のごとく空くうを貫つらぬいて、会釈えしゃくもなく余が眉間みけんに落ちる。はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立て切った。あとは至極しごく呑気のんきな春となる。
余はまたごろりと寝ころんだ。たちまち心に浮んだのは、
Sadder than is the moon's lost light,
Lost ere the kindling of dawn,
To travellers journeying on,
The shutting of thy fair face from my sight.
と云う句であった。もし余があの銀杏返いちょうがえしに懸想けそうして、身を砕くだいても逢わんと思う矢先に、今のような一瞥いちべつの別れを、魂消たまぎるまでに、嬉しとも、口惜くちおしとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。その上に
Might I look on thee in death,
With bliss I would yield my breath.
と云う二句さえ、付け加えたかも知れぬ。幸い、普通ありふれた、恋とか愛とか云う境界きょうがいはすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。しかし今の刹那せつなに起った出来事の詩趣はゆたかにこの五六行にあらわれている。余と銀杏返しの間柄あいだがらにこんな切せつない思おもいはないとしても、二人の今の関係を、この詩の中うちに適用あてはめて見るのは面白い。あるいはこの詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈しても愉快だ。二人の間には、ある因果いんがの細い糸で、この詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、括くくりつけられている。因果もこのくらい糸が細いと苦くにはならぬ。その上、ただの糸ではない。空を横切る虹にじの糸、野辺のべに棚引たなびく霞かすみの糸、露つゆにかがやく蜘蛛くもの糸。切ろうとすれば、すぐ切れて、見ているうちは勝すぐれてうつくしい。万一この糸が見る間に太くなって井戸縄いどなわのようにかたくなったら? そんな危険はない。余は画工である。先はただの女とは違う。
突然襖があいた。寝返ねがえりを打って入口を見ると、因果の相手のその銀杏返しが敷居の上に立って青磁せいじの鉢はちを盆に乗せたまま佇たたずんでいる。
「また寝ていらっしゃるか、昨夕ゆうべは御迷惑で御座んしたろう。何返なんべんも御邪魔をして、ほほほほ」と笑う。臆おくした景色けしきも、隠す景色も――恥ずる景色は無論ない。ただこちらが先せんを越されたのみである。
「今朝はありがとう」とまた礼を云った。考えると、丹前たんぜんの礼をこれで三返べん云った。しかも、三返ながら、ただ
難有う
と云う三字である。
女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くも坐って
「まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話は出来ましょう」と、さも気作きさくに云う。余は全くだと考えたから、ひとまず腹這はらばいになって、両手で顎あごを支ささえ、しばし畳の上へ肘壺ひじつぼの柱を立てる。
「御退屈だろうと思って、御茶を入れに来ました」
「ありがとう」またありがとうが出た。菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹ようかんが並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好すきだ。別段食いたくはないが、あの肌合はだあいが滑なめらかに、緻密ちみつに、しかも半透明はんとうめいに光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上ねりあげ方は、玉ぎょくと蝋石ろうせきの雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫なでて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと柔やわらかだが、少し重苦しい。ジェリは、一目いちもく宝石のように見えるが、ぶるぶる顫ふるえて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断ごんごどうだんの沙汰である。
「うん、なかなか美事みごとだ」
「今しがた、源兵衛が買って帰りました。これならあなたに召し上がられるでしょう」
源兵衛は昨夕城下じょうかへ留とまったと見える。余は別段の返事もせず羊羹を見ていた。どこで誰れが買って来ても構う事はない。ただ美くしければ、美くしいと思うだけで充分満足である。
「この青磁の形は大変いい。色も美事だ。ほとんど羊羹に対して遜色そんしょくがない」
女はふふんと笑った。口元くちもとに侮あなどりの波が微かすかに揺ゆれた。余の言葉を洒落しゃれと解したのだろう。なるほど洒落とすれば、軽蔑けいべつされる価あたいはたしかにある。智慧ちえの足りない男が無理に洒落れた時には、よくこんな事を云うものだ。
「これは支那ですか」
「何ですか」と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。
「どうも支那らしい」と皿を上げて底を眺ながめて見た。
「そんなものが、御好きなら、見せましょうか」
「ええ、見せて下さい」
「父が骨董こっとうが大好きですから、だいぶいろいろなものがあります。父にそう云って、いつか御茶でも上げましょう」
茶と聞いて少し辟易へきえきした。世間に茶人ちゃじんほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張なわばりをして、極きわめて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如きくきゅうじょとして、あぶくを飲んで結構がるものはいわゆる茶人である。あんな煩瑣はんさな規則のうちに雅味があるなら、麻布あざぶの聯隊れんたいのなかは雅味で鼻がつかえるだろう。廻れ右、前への連中はことごとく大茶人でなくてはならぬ。あれは商人とか町人とか、まるで趣味の教育のない連中が、どうするのが風流か見当がつかぬところから、器械的に利休りきゅう以後の規則を鵜呑うのみにして、これでおおかた風流なんだろう、とかえって真の風流人を馬鹿にするための芸である。
「御茶って、あの流儀のある茶ですかな」
「いいえ、流儀も何もありゃしません。御厭おいやなら飲まなくってもいい御茶です」
「そんなら、ついでに飲んでもいいですよ」
「ほほほほ。父は道具を人に見ていただくのが大好きなんですから……」
「褒ほめなくっちゃあ、いけませんか」
「年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ」
「へえ、少しなら褒めて置きましょう」
「負けて、たくさん御褒めなさい」
「はははは、時にあなたの言葉は田舎いなかじゃない」
「人間は田舎なんですか」
「人間は田舎の方がいいのです」
「それじゃ幅はばが利ききます」
「しかし東京にいた事がありましょう」
「ええ、いました、京都にもいました。渡りものですから、方々にいました」
「ここと都と、どっちがいいですか」
「同じ事ですわ」
「こう云う静かな所が、かえって気楽でしょう」
「気楽も、気楽でないも、世の中は気の持ちよう一つでどうでもなります。蚤のみの国が厭いやになったって、蚊かの国へ引越ひっこしちゃ、何なんにもなりません」
「蚤も蚊もいない国へ行ったら、いいでしょう」
「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出してちょうだい」と女は詰つめ寄せる。
「御望みなら、出して上げましょう」と例の写生帖をとって、女が馬へ乗って、山桜を見ている心持ち――無論とっさの筆使いだから、画えにはならない。ただ心持ちだけをさらさらと書いて、
「さあ、この中へ御這入おはいりなさい。蚤も蚊もいません」と鼻の前さきへ突きつけた。驚くか、恥ずかしがるか、この様子では、よもや、苦しがる事はなかろうと思って、ちょっと景色けしきを伺うかがうと、
「まあ、窮屈きゅうくつな世界だこと、横幅よこはばばかりじゃありませんか。そんな所が御好きなの、まるで蟹かにね」と云って退のけた。余は
「わはははは」と笑う。軒端のきばに近く、啼なきかけた鶯うぐいすが、中途で声を崩くずして、遠き方かたへ枝移りをやる。両人ふたりはわざと対話をやめて、しばらく耳を峙そばだてたが、いったん鳴き損そこねた咽喉のどは容易に開あけぬ。
「昨日きのうは山で源兵衛に御逢おあいでしたろう」
「ええ」
「長良ながらの乙女おとめの五輪塔ごりんのとうを見ていらしったか」
「ええ」
「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌だけ述べた。何のためか知らぬ。
「その歌はね、茶店で聞きましたよ」
「婆さんが教えましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に……」と云いかけて、これはと余よの顔を見たから、余は知らぬ風ふうをしていた。
「私がまだ若い時分でしたが、あれが来るたびに長良の話をして聞かせてやりました。うただけはなかなか覚えなかったのですが、何遍も聴きくうちに、とうとう何もかも諳誦あんしょうしてしまいました」
「どうれで、むずかしい事を知ってると思った。――しかしあの歌は憐あわれな歌ですね」
「憐れでしょうか。私ならあんな歌は咏よみませんね。第一、淵川ふちかわへ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」
「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」
「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾おとこめかけにするばかりですわ」
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」
「なるほどそれじゃ蚊の国へも、蚤の国へも、飛び込まずに済む訳だ」
「蟹のような思いをしなくっても、生きていられるでしょう」
ほーう、ほけきょうと忘れかけた鶯うぐいすが、いつ勢いきおいを盛り返してか、時ならぬ高音たかねを不意に張った。一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身を逆さかしまにして、ふくらむ咽喉のどの底を震ふるわして、小さき口の張り裂くるばかりに、
ほーう、ほけきょーう。ほーー、ほけっーきょうーと、つづけ様さまに囀さえずる。
「あれが本当の歌です」と女が余に教えた。
五
「失礼ですが旦那だんなは、やっぱり東京ですか」
「東京と見えるかい」
「見えるかいって、一目ひとめ見りゃあ、――第一だいち言葉でわかりまさあ」
「東京はどこだか知れるかい」
「そうさね。東京は馬鹿に広いからね。――何でも下町したまちじゃねえようだ。山やまの手てだね。山の手は麹町こうじまちかね。え? それじゃ、小石川こいしかわ? でなければ牛込うしごめか四谷よつやでしょう」
「まあそんな見当だろう。よく知ってるな」
「こう見めえて、私わっちも江戸っ子だからね」
「道理どうれで生粋いなせだと思ったよ」
「えへへへへ。からっきし、どうも、人間もこうなっちゃ、みじめですぜ」
「何でまたこんな田舎いなかへ流れ込んで来たのだい」
「ちげえねえ、旦那のおっしゃる通りだ。全く流れ込んだんだからね。すっかり食い詰めっちまって……」
「もとから髪結床かみゆいどこの親方かね」
「親方じゃねえ、職人さ。え? 所かね。所は神田松永町かんだまつながちょうでさあ。なあに猫の額ひたい見たような小さな汚ねえ町でさあ。旦那なんか知らねえはずさ。あすこに竜閑橋りゅうかんばしてえ橋がありましょう。え? そいつも知らねえかね。竜閑橋ゃ、名代なだいな橋だがね」
「おい、もう少し、石鹸しゃぼんを塗つけてくれないか、痛くって、いけない」
「痛うがすかい。私わっちゃ癇性かんしょうでね、どうも、こうやって、逆剃さかずりをかけて、一本一本髭ひげの穴を掘らなくっちゃ、気が済まねえんだから、――なあに今時いまどきの職人なあ、剃するんじゃねえ、撫なでるんだ。もう少しだ我慢おしなせえ」
「我慢は先さっきから、もうだいぶしたよ。御願だから、もう少し湯か石鹸をつけとくれ」
「我慢しきれねえかね。そんなに痛かあねえはずだが。全体ぜんてい、髭があんまり、延び過ぎてるんだ」
やけに頬の肉をつまみ上げた手を、残念そうに放した親方は、棚たなの上から、薄うすっ片ぺらな赤い石鹸を取り卸おろして、水のなかにちょっと浸ひたしたと思ったら、それなり余の顔をまんべんなく一応撫で廻わした。裸石鹸を顔へ塗りつけられた事はあまりない。しかもそれを濡ぬらした水は、幾日前いくにちまえに汲くんだ、溜め置きかと考えると、余りぞっとしない。
すでに髪結床かみゆいどこである以上は、御客の権利として、余は鏡に向わなければならん。しかし余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。鏡と云う道具は平たいらに出来て、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性質が具そなわらない鏡を懸かけて、これに向えと強しいるならば、強いるものは下手へたな写真師と同じく、向うものの器量を故意に損害したと云わなければならぬ。虚栄心を挫くじくのは修養上一種の方便かも知れぬが、何も己おのれの真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを侮辱ぶじょくするには及ぶまい。今余が辛抱しんぼうして向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔中鼻になる。左を出すと口が耳元まで裂ける。仰向あおむくと蟇蛙ひきがえるを前から見たように真平まったいらに圧おし潰つぶされ、少しこごむと福禄寿ふくろくじゅの祈誓児もうしごのように頭がせり出してくる。いやしくもこの鏡に対する間あいだは一人でいろいろな化物ばけものを兼勤けんきんしなくてはならぬ。写るわが顔の美術的ならぬはまず我慢するとしても、鏡の構造やら、色合や、銀紙の剥はげ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが醜体を極きわめている。小人しょうじんから罵詈ばりされるとき、罵詈それ自身は別に痛痒つうようを感ぜぬが、その小人しょうじんの面前に起臥きがしなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。
その上この親方がただの親方ではない。そとから覗のぞいたときは、胡坐あぐらをかいて、長煙管ながぎせるで、おもちゃの日英同盟にちえいどうめい国旗の上へ、しきりに煙草たばこを吹きつけて、さも退屈気たいくつげに見えたが、這入はいって、わが首の所置を托する段になって驚ろいた。髭ひげを剃そる間は首の所有権は全く親方の手にあるのか、はた幾分かは余の上にも存するのか、一人で疑がい出したくらい、容赦ようしゃなく取り扱われる。余の首が肩の上に釘付くぎづけにされているにしてもこれでは永く持たない。
彼は髪剃かみそりを揮ふるうに当って、毫ごうも文明の法則を解しておらん。頬にあたる時はがりりと音がした。揉もみ上あげの所ではぞきりと動脈が鳴った。顋あごのあたりに利刃りじんがひらめく時分にはごりごり、ごりごりと霜柱しもばしらを踏みつけるような怪しい声が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって自任している。
最後に彼は酔っ払っている。旦那えと云うたんびに妙な臭においがする。時々は異いな瓦斯ガスを余が鼻柱へ吹き掛ける。これではいつ何時なんどき、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行くか解らない。使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、顔を貸した余に推察のできようはずがない。得心ずくで任せた顔だから、少しの怪我けがなら苦情は云わないつもりだが、急に気が変って咽喉笛のどぶえでも掻かき切られては事だ。
「石鹸しゃぼんなんぞを、つけて、剃するなあ、腕が生なまなんだが、旦那のは、髭が髭だから仕方があるめえ」と云いながら親方は裸石鹸を、裸のまま棚の上へ放ほうり出すと、石鹸は親方の命令に背そむいて地面の上へ転ころがり落ちた。
「旦那あ、あんまり見受けねえようだが、何ですかい、近頃来なすったのかい」
「二三日にさんち前来たばかりさ」
「へえ、どこにいるんですい」
「志保田しほだに逗とまってるよ」
「うん、あすこの御客さんですか。おおかたそんな事こったろうと思ってた。実あ、私わっしもあの隠居さんを頼たよって来たんですよ。――なにね、あの隠居が東京にいた時分、わっしが近所にいて、――それで知ってるのさ。いい人でさあ。ものの解ったね。去年御新造ごしんぞが死んじまって、今じゃ道具ばかり捻ひねくってるんだが――何でも素晴らしいものが、有るてえますよ。売ったらよっぽどな金目かねめだろうって話さ」
「奇麗きれいな御嬢さんがいるじゃないか」
「あぶねえね」
「何が?」
「何がって。旦那の前めえだが、あれで出返でもどりですぜ」
「そうかい」
「そうかいどころの騒さわぎじゃねえんだね。全体なら出て来なくってもいいところをさ。――銀行が潰つぶれて贅沢ぜいたくが出来ねえって、出ちまったんだから、義理が悪わるいやね。隠居さんがああしているうちはいいが、もしもの事があった日にゃ、法返ほうがえしがつかねえ訳わけになりまさあ」
「そうかな」
「当あたり前めえでさあ。本家の兄あにきたあ、仲がわるしさ」
「本家があるのかい」
「本家は岡の上にありまさあ。遊びに行って御覧なさい。景色のいい所ですよ」
「おい、もう一遍石鹸しゃぼんをつけてくれないか。また痛くなって来た」
「よく痛くなる髭ひげだね。髭が硬過こわすぎるからだ。旦那の髭じゃ、三日に一度は是非剃そりを当てなくっちゃ駄目ですぜ。わっしの剃で痛けりゃ、どこへ行ったって、我慢出来っこねえ」
「これから、そうしよう。何なら毎日来てもいい」
「そんなに長く逗留とうりゅうする気なんですか。あぶねえ。およしなせえ。益もねえ事こった。碌ろくでもねえものに引っかかって、どんな目に逢うか解りませんぜ」
「どうして」
「旦那あの娘は面めんはいいようだが、本当は
き
印じるしですぜ」
「なぜ」
「なぜって、旦那。村のものは、みんな気狂きちげえだって云ってるんでさあ」
「そりゃ何かの間違だろう」
「だって、現げんに証拠があるんだから、御よしなせえ。けんのんだ」
「おれは大丈夫だが、どんな証拠があるんだい」
「おかしな話しさね。まあゆっくり、煙草たばこでも呑のんで御出おいでなせえ話すから。――頭あ洗いましょうか」
「頭はよそう」
「頭垢ふけだけ落して置くかね」
親方は垢あかの溜たまった十本の爪を、遠慮なく、余が頭蓋骨ずがいこつの上に並べて、断わりもなく、前後に猛烈なる運動を開始した。この爪が、黒髪の根を一本ごとに押し分けて、不毛の境きょうを巨人の熊手くまでが疾風の速度で通るごとくに往来する。余が頭に何十万本の髪の毛が生はえているか知らんが、ありとある毛がことごとく根こぎにされて、残る地面がべた一面に蚯蚓腫めめずばれにふくれ上った上、余勢が地磐じばんを通して、骨から脳味噌のうみそまで震盪しんとうを感じたくらい烈はげしく、親方は余の頭を掻き廻わした。
「どうです、好い心持でしょう」
「非常な辣腕らつわんだ」
「え? こうやると誰でもさっぱりするからね」
「首が抜けそうだよ」
「そんなに倦怠けったるうがすかい。全く陽気の加減だね。どうも春てえ奴やつあ、やに身体からだがなまけやがって――まあ一ぷく御上おあがんなさい。一人で志保田にいちゃ、退屈でしょう。ちと話しに御出おいでなせえ。どうも江戸っ子は江戸っ子同志でなくっちゃ、話しが合わねえものだから。何ですかい、やっぱりあの御嬢さんが、御愛想に出てきますかい。どうもさっぱし、見境みさけえのねえ女だから困っちまわあ」
「御嬢さんが、どうとか、したところで頭垢が飛んで、首が抜けそうになったっけ」
「違ちげえねえ、がんがらがんだから、からっきし、話に締りがねえったらねえ。――そこでその坊主が逆のぼせちまって……」
「その坊主たあ、どの坊主だい」
「観海寺かんかいじの納所坊主なっしょぼうずがさ……」
「納所なっしょにも住持じゅうじにも、坊主はまだ一人も出て来ないんだ」
「そうか、急勝せっかちだから、いけねえ。苦味走にがんばしった、色の出来そうな坊主だったが、そいつが御前おまえさん、レコに参っちまって、とうとう文ふみをつけたんだ。――おや待てよ。口説くどいたんだっけかな。いんにゃ文だ。文に違ちげえねえ。すると――こうっと――何だか、行いきさつが少し変だぜ。うん、そうか、やっぱりそうか。するてえと奴やっこさん、驚ろいちまってからに……」
「誰が驚ろいたんだい」
「女がさ」
「女が文を受け取って驚ろいたんだね」
「ところが驚ろくような女なら、殊勝しおらしいんだが、驚ろくどころじゃねえ」
「じゃ誰が驚ろいたんだい」
「口説た方がさ」
「口説ないのじゃないか」
「ええ、じれってえ。間違ってらあ。文ふみをもらってさ」
「それじゃやっぱり女だろう」
「なあに男がさ」
「男なら、その坊主だろう」
「ええ、その坊主がさ」
「坊主がどうして驚ろいたのかい」
「どうしてって、本堂で和尚おしょうさんと御経を上げてると、突然いきなりあの女が飛び込んで来て――ウフフフフ。どうしても狂印きじるしだね」
「どうかしたのかい」
「そんなに可愛かわいいなら、仏様の前で、いっしょに寝ようって、出し抜けに、泰安たいあんさんの頸くびっ玉たまへかじりついたんでさあ」
「へええ」
「面喰めんくらったなあ、泰安さ。気狂きちげえに文をつけて、飛んだ恥を掻かかせられて、とうとう、その晩こっそり姿を隠して死んじまって……」
「死んだ?」
「死んだろうと思うのさ。生きちゃいられめえ」
「何とも云えない」
「そうさ、相手が気狂じゃ、死んだって冴さえねえから、ことによると生きてるかも知れねえね」
「なかなか面白い話だ」
「面白いの、面白くないのって、村中大笑いでさあ。ところが当人だけは、根ねが気が違ってるんだから、洒唖洒唖しゃあしゃあして平気なもんで――なあに旦那のようにしっかりしていりゃ大丈夫ですがね、相手が相手だから、滅多めったにからかったり何なんかすると、大変な目に逢いますよ」
「ちっと気をつけるかね。ははははは」
生温なまぬるい磯いそから、塩気のある春風はるかぜがふわりふわりと来て、親方の暖簾のれんを眠ねむたそうに煽あおる。身を斜はすにしてその下をくぐり抜ける燕つばめの姿が、ひらりと、鏡の裡うちに落ちて行く。向うの家うちでは六十ばかりの爺さんが、軒下に蹲踞うずくまりながら、だまって貝をむいている。かちゃりと、小刀があたるたびに、赤い味みが笊ざるのなかに隠れる。殻からはきらりと光りを放って、二尺あまりの陽炎かげろうを向むこうへ横切る。丘のごとくに堆うずたかく、積み上げられた、貝殻は牡蠣かきか、馬鹿ばかか、馬刀貝まてがいか。崩くずれた、幾分は砂川すながわの底に落ちて、浮世の表から、暗くらい国へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の行末ゆくえを考うる暇さえなく、ただ空むなしき殻を陽炎かげろうの上へ放ほうり出す。彼かれの笊ざるには支ささうべき底なくして、彼れの春の日は無尽蔵に長閑のどかと見える。
砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、参差しんしとして幾尋いくひろの干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、腥なまぐさき微温ぬくもりを与えつつあるかと怪しまれる。その間から、鈍刀どんとうを溶とかして、気長にのたくらせたように見えるのが海の色だ。
この景色とこの親方とはとうてい調和しない。もしこの親方の人格が強烈で四辺しへんの風光と拮抗きっこうするほどの影響を余の頭脳に与えたならば、余は両者の間に立ってすこぶる円
方鑿えんぜいほうさくの感に打たれただろう。幸さいわいにして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この渾然こんぜんとして駘蕩たいとうたる天地の大気象には叶かなわない。満腹の饒舌にょうぜつを弄ろうして、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、早く一微塵いちみじんとなって、怡々いいたる春光しゅんこうの裏うちに浮遊している。矛盾とは、力において、量において、もしくは意気体躯たいくにおいて氷炭相容ひょうたんあいいるる能あたわずして、しかも同程度に位する物もしくは人の間に在あって始めて、見出し得べき現象である。両者の間隔がはなはだしく懸絶するときは、この矛盾はようやく
磨しじんろうまして、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかも知れぬ。大人たいじんの手足しゅそくとなって才子が活動し、才子の股肱ここうとなって昧者まいしゃが活動し、昧者の心腹しんぷくとなって牛馬が活動し得るのはこれがためである。今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の滑稽こっけいを演じている。長閑のどかな春の感じを壊こわすべきはずの彼は、かえって長閑な春の感じを刻意に添えつつある。余は思わず弥生半やよいなかばに呑気のんきな弥次やじと近づきになったような気持ちになった。この極きわめて安価なる気
家きえんかは、太平の象しょうを具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。
こう考えると、この親方もなかなか画えにも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと尻しりを据すえて四方八方よもやまの話をしていた。ところへ暖簾のれんを滑すべって小さな坊主頭が
「御免、一つ剃そって貰おうか」
と這入はいって来る。白木綿の着物に同じ丸絎まるぐけの帯をしめて、上から蚊帳かやのように粗あらい法衣ころもを羽織って、すこぶる気楽に見える小坊主であった。
「了念りょうねんさん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、和尚おしょうさんに叱しかられたろう」
「いんにゃ、褒ほめられた」
「使に出て、途中で魚なんか、とっていて、了念は感心だって、褒められたのかい」
「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ云うて、老師が褒められたのよ」
「道理どうれで頭に瘤こぶが出来てらあ。そんな不作法な頭あ、剃するなあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次から、捏こね直して来ねえ」
「捏ね直すくらいなら、ますこし上手な床屋へ行きます」
「はははは頭は凹凸ぼこでこだが、口だけは達者なもんだ」
「腕は鈍いが、酒だけ強いのは御前おまえだろ」
「箆棒べらぼうめ、腕が鈍いって……」
「わしが云うたのじゃない。老師が云われたのじゃ。そう怒るまい。年甲斐としがいもない」
「ヘン、面白くもねえ。――ねえ、旦那」
「ええ?」
「全体ぜんてえ坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがって、屈托くったくがねえから、自然に口が達者になる訳ですかね。こんな小坊主までなかなか口幅くちはばってえ事を云いますぜ――おっと、もう少し頭どたまを寝かして――寝かすんだてえのに、――言う事を聴きかなけりゃ、切るよ、いいか、血が出るぜ」
「痛いがな。そう無茶をしては」
「このくらいな辛抱が出来なくって坊主になれるもんか」
「坊主にはもうなっとるがな」
「まだ一人前いちにんめえじゃねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだっけな、御小僧さん」
「泰安さんは死にはせんがな」
「死なねえ? はてな。死んだはずだが」
「泰安さんは、その後のち発憤して、陸前りくぜんの大梅寺だいばいじへ行って、修業三昧しゅぎょうざんまいじゃ。今に智識ちしきになられよう。結構な事よ」
「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。御前おめえなんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――女ってえば、あの狂印きじるしはやっぱり和尚おしょうさんの所へ行くかい」
「狂印きじるしと云う女は聞いた事がない」
「通じねえ、味噌擂みそすりだ。行くのか、行かねえのか」
「狂印きじるしは来んが、志保田の娘さんなら来る」
「いくら、和尚さんの御祈祷ごきとうでもあればかりゃ、癒なおるめえ。全く先せんの旦那が祟たたってるんだ」
「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒ほめておられる」
「石段をあがると、何でも逆様さかさまだから叶かなわねえ。和尚さんが、何て云ったって、気狂きちげえは気狂きちげえだろう。――さあ剃すれたよ。早く行って和尚さんに叱られて来めえ」
「いやもう少し遊んで行って賞ほめられよう」
「勝手にしろ、口の減へらねえ餓鬼がきだ」
「咄とつこの乾屎
かんしけつ」
「何だと?」
青い頭はすでに暖簾のれんをくぐって、春風しゅんぷうに吹かれている。
六
夕暮の机に向う。障子も襖ふすまも開あけ放はなつ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞ふるまう境きょうを、幾曲いくまがりの廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩わずらいにはならぬ。今日は一層ひとしお静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間まに、われを残して、立ち退のいたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。霞かすみの国か、雲の国かであろう。あるいは雲と水が自然に近づいて、舵かじをとるさえ懶ものうき海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け難き境さかいに漂ただよい来て、果はては帆みずからが、いずこに己おのれを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんな遥はるかな所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの四大しだいが、今頃は目に見えぬ霊氛れいふんとなって、広い天地の間に、顕微鏡けんびきょうの力を藉かるとも、些さの名残なごりを留とどめぬようになったのであろう。あるいは雲雀ひばりに化して、菜なの花の黄きを鳴き尽したる後のち、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。または永き日を、かつ永くする虻あぶのつとめを果したる後、蕋ずいに凝こる甘き露を吸い損そこねて、落椿おちつばきの下に、伏せられながら、世を香かんばしく眠っているかも知れぬ。とにかく静かなものだ。
空むなしき家を、空しく抜ける春風はるかぜの、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒こばむものへの面当つらあてでもない。自おのずから来きたりて、自から去る、公平なる宇宙の意こころである。掌たなごころに顎あごを支ささえたる余の心も、わが住む部屋のごとく空むなしければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。
踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣きづかいも起おこる。戴いただくは天と知る故に、稲妻いなずまの米噛こめかみに震ふるう怖おそれも出来る。人と争あらそわねば一分いちぶんが立たぬと浮世が催促するから、火宅かたくの苦くは免かれぬ。東西のある乾坤けんこんに住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は讎あだである。目に見る富は土である。握る名と奪える誉ほまれとは、小賢こざかしき蜂はちが甘く醸かもすと見せて、針を棄すて去る蜜のごときものであろう。いわゆる楽たのしみは物に着ちゃくするより起るが故ゆえに、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と画客がかくなるものあって、飽あくまでこの待対たいたい世界の精華を嚼かんで、徹骨徹髄てっこつてつずいの清きを知る。霞かすみを餐さんし、露を嚥のみ、紫しを品ひんし、紅こうを評ひょうして、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に着ちゃくするのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々ぼうぼうたる大地を極きわめても見出みいだし得ぬ。自在じざいに泥団でいだんを放下ほうげして、破笠裏はりつりに無限むげんの青嵐せいらんを盛もる。いたずらにこの境遇を拈出ねんしゅつするのは、敢あえて市井しせいの銅臭児どうしゅうじの鬼嚇きかくして、好んで高く標置ひょうちするがためではない。ただ這裏しゃりの福音ふくいんを述べて、縁ある衆生しゅじょうを麾さしまねくのみである。有体ありていに云えば詩境と云い、画界と云うも皆人々具足にんにんぐそくの道である。春秋しゅんじゅうに指を折り尽して、白頭はくとうに呻吟しんぎんするの徒とといえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の臭骸しゅうがいに洩もれて、吾われを忘れし、拍手はくしゅの興きょうを喚よび起す事が出来よう。出来ぬと云わば生甲斐いきがいのない男である。
されど一事いちじに即そくし、一物いちぶつに化かするのみが詩人の感興とは云わぬ。ある時は一弁いちべんの花に化し、あるときは一双いっそうの蝶ちょうに化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を沢風たくふうの裏うちに撩乱りょうらんせしむる事もあろうが、何なんとも知れぬ四辺しへんの風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは那物なにものぞとも明瞭めいりょうに意識せぬ場合がある。ある人は天地の耿気こうきに触るると云うだろう。ある人は無絃むげんの琴きんを霊台れいだいに聴くと云うだろう。またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域に
せんかいして、縹緲ひょうびょうのちまたに彷徨ほうこうすると形容するかも知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。わが、唐木からきの机に憑よりてぽかんとした心裡しんりの状態は正まさにこれである。
余は明あきらかに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚こうこつと動いている。
強しいて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹せんたんに練り上げて、それを蓬莱ほうらいの霊液れいえきに溶といて、桃源とうげんの日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間まに毛孔けあなから染しみ込んで、心が知覚せぬうちに飽和ほうわされてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明ふぶんみょうであるから、毫ごうも刺激がない。刺激がないから、窈然ようぜんとして名状しがたい楽たのしみがある。風に揉もまれて上うわの空そらなる波を起す、軽薄で騒々しい趣おもむきとは違う。目に見えぬ幾尋いくひろの底を、大陸から大陸まで動いている
洋こうようたる蒼海そうかいの有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念けねんが籠こもる。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈はげしき力の銷磨しょうましはせぬかとの憂うれいを離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕とらえ難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞おそれを含んではおらぬ。冲融ちゅうゆうとか澹蕩たんとうとか云う詩人の語はもっともこの境きょうを切実に言い了おおせたものだろう。
この境界きょうがいを画えにして見たらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。われらが俗に画と称するものは、ただ眼前がんぜんの人事風光をありのままなる姿として、もしくはこれをわが審美眼に漉過ろくかして、絵絹えぎぬの上に移したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の能事のうじは終ったものと考えられている。もしこの上に一頭地いっとうちを抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣おもむきを添えて、画布の上に淋漓りんりとして生動せいどうさせる。ある特別の感興を、己おのが捕えたる森羅しんらの裡うちに寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭めいりょうに筆端に迸ほとばしっておらねば、画を製作したとは云わぬ。己おのれはしかじかの事を、しかじかに観み、しかじかに感じたり、その観方みかたも感じ方も、前人ぜんじんの籬下りかに立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。
この二種の製作家に主客しゅかく深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほどに分明ぶんみょうなものではない。あらん限りの感覚を鼓舞こぶして、これを心外に物色したところで、方円の形、紅緑こうろくの色は無論、濃淡の陰、洪繊こうせんの線すじを見出しかねる。わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横よこたわる、一定の景物でないから、これが源因げんいんだと指を挙あげて明らかに人に示す訳わけに行かぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――否いやこの心持ちをいかなる具体を藉かりて、人の合点がてんするように髣髴ほうふつせしめ得るかが問題である。
普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共この心持ちに恰好かっこうなる対象を択えらばなければならん。しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に纏まとまらない。纏っても自然界に存するものとは丸まるで趣おもむきを異ことにする場合がある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。描えがいた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、ただ感興の上さした刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命を
しょうきょうしがたきムードに与うれば大成功と心得ている。古来からこの難事業に全然の績いさおしを収め得たる画工があるかないか知らぬ。ある点までこの流派りゅうはに指を染め得たるものを挙あぐれば、文与可ぶんよかの竹である。雲谷うんこく門下の山水である。下って大雅堂たいがどうの景色けいしょくである。蕪村ぶそんの人物である。泰西たいせいの画家に至っては、多く眼を具象ぐしょう世界に馳はせて、神往しんおうの気韻きいんに傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外ぶつがいの神韻しんいんを伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
惜しい事に雪舟せっしゅう、蕪村らの力つとめて描出びょうしゅつした一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが画えにして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖ほおづえをやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子わがこを尋ね当てるため、六十余州を回国かいこくして、寝ねても寤さめても、忘れる間まがなかったある日、十字街頭にふと邂逅かいこうして、稲妻いなずまの遮さえぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵ののしられても恨うらみはない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直きょくちょくがこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻ふういんのどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭いとわない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が帖じょうのなかへ落ち込むまで、工夫くふうしたが、とても物にならん。
鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的ちゅうしょうてきな興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。
たちまち
音楽
の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に逼せまられて生まれた自然の声であろう。楽がくは聴きくべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。
次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界きょうがいもとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏しんりの状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次ていじに展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来きたり、二が消えて三が生まるるがために嬉うれしいのではない。初から窈然ようぜんとして同所どうしょに把住はじゅうする趣おもむきで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排あんばいする必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情けいじょうを詩中に持ち来って、この曠然こうぜんとして倚托きたくなき有様を写すかが問題で、すでにこれを捕とらえ得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗しんちょくする出来事の助けを藉からずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充みたしさえすれば、言語をもって描えがき得るものと思う。
議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。とにかく、画えにしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。しばらくは、筆の先の尖とがった所を、どうにか運動させたいばかりで、毫ごうも運動させる訳わけに行かなかった。急に朋友ほうゆうの名を失念して、咽喉のどまで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこで諦あきらめると、出損でそくなった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。
葛湯くずゆを練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸はしに手応てごたえがないものだ。そこを辛抱しんぼうすると、ようやく粘着ねばりが出て、攪かき淆まぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには鍋なべの中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。
手掛てがかりのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、
青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。
蛸掛不動。篆煙繞竹梁。
と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り易やすかったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない情じょうを、次には咏うたって見たい。あれか、これかと思い煩わずらった末とうとう、
独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬
白雲郷。
と出来た。もう一返いっぺん最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入はいった神境を写したものとすると、索然さくぜんとして物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、襖ふすまを引いて、開あけ放はなった幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。
一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿ふりそですがたのすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側えんがわを寂然じゃくねんとして歩行あるいて行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。
花曇はなぐもりの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干らんかんに、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六間けんの中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥しょうりょうと見えつ、隠れつする。
女はもとより口も聞かぬ。傍目わきめも触ふらぬ。椽えんに引く裾すその音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行あるいている。腰から下にぱっと色づく、裾模様すそもようは何を染め抜いたものか、遠くて解わからぬ。ただ無地むじと模様のつながる中が、おのずから暈ぼかされて、夜と昼との境のごとき心地ここちである。女はもとより夜と昼との境をあるいている。
この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な装よそおいをして、この不思議な歩行あゆみをつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。逝ゆく春の恨うらみを訴うる所作しょさならば何が故ゆえにかくは無頓着むとんじゃくなる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは綺羅きらを飾れる。
暮れんとする春の色の、嬋媛せんえんとして、しばらくは冥
めいばくの戸口をまぼろしに彩いろどる中に、眼も醒さむるほどの帯地おびじは金襴きんらんか。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然そうぜんたる夕べのなかにつつまれて、幽闃ゆうげきのあなた、遼遠りょうえんのかしこへ一分ごとに消えて去る。燦きらめき渡る春の星の、暁あかつき近くに、紫深き空の底に陥おちいる趣おもむきである。
太玄たいげんの
もんおのずから開ひらけて、この華はなやかなる姿を、幽冥ゆうめいの府ふに吸い込まんとするとき、余はこう感じた。金屏きんびょうを背に、銀燭ぎんしょくを前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの装よそおいの、厭いとう景色けしきもなく、争う様子も見えず、色相しきそう世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。刻々と逼せまる黒き影を、すかして見ると女は粛然として、焦せきもせず、狼狽うろたえもせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊はいかいしているらしい。身に落ちかかる災わざわいを知らぬとすれば無邪気の極きわみである。知って、災と思わぬならば物凄ものすごい。黒い所が本来の住居すまいで、しばらくの幻影まぼろしを、元もとのままなる冥漠めいばくの裏うちに収めればこそ、かように間
かんせいの態度で、有うと無むの間あいだに逍遥しょうようしているのだろう。女のつけた振袖に、紛ふんたる模様の尽きて、是非もなき磨墨するすみに流れ込むあたりに、おのが身の素性すじょうをほのめかしている。
またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚うつつのままで、この世の呼吸いきを引き取るときに、枕元に病やまいを護まもるわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐いきがいのない本人はもとより、傍はたに見ている親しい人も殺すが慈悲と諦あきらめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の科とががあろう。眠りながら冥府よみに連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果はたすと同様である。どうせ殺すものなら、とても逃のがれぬ定業じょうごうと得心もさせ、断念もして、念仏を唱となえたい。死ぬべき条件が具そなわらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏なむあみだぶつと回向えこうをする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。仮かりの眠りから、いつの間まとも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩ぼんのうの綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、穏おだやかに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの裡うちから救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや否いなや、何だか口が聴きけなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる途端とたんに、女はまた通る。こちらに窺うかがう人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵みじんも気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、初手しょてから、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々しょうしょうと封じ了おわる。
七
寒い。手拭てぬぐいを下げて、湯壺ゆつぼへ下くだる。
三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は御影みかげで敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋とうふやほどな湯槽ゆぶねを据すえる。槽ふねとは云うもののやはり石で畳んである。鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、入はいり心地ごこちがよい。折々は口にさえふくんで見るが別段の味も臭においもない。病気にも利きくそうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。もとより別段の持病もないから、実用上の価値はかつて頭のなかに浮んだ事がない。ただ這入はいる度に考え出すのは、白楽天はくらくてんの温泉おんせん水滑みずなめらかにして洗凝脂ぎょうしをあらうと云う句だけである。温泉と云う名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持になる。またこの気持を出し得ぬ温泉は、温泉として全く価値がないと思ってる。この理想以外に温泉についての注文はまるでない。
すぽりと浸つかると、乳のあたりまで這入はいる。湯はどこから湧わいて出るか知らぬが、常でも槽ふねの縁ふちを奇麗に越している。春の石は乾かわくひまなく濡ぬれて、あたたかに、踏む足の、心は穏おだやかに嬉しい。降る雨は、夜の目を掠かすめて、ひそかに春を潤うるおすほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、ようやく繁しげく、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て籠こめられた湯気は、床ゆかから天井を隈くまなく埋うずめて、隙間すきまさえあれば、節穴ふしあなの細きを厭いとわず洩もれ出いでんとする景色けしきである。
秋の霧は冷やかに、たなびく靄もやは長閑のどかに、夕餉炊ゆうげたく、人の煙は青く立って、大いなる空に、わがはかなき姿を托す。様々の憐あわれはあるが、春の夜よの温泉でゆの曇りばかりは、浴ゆあみするものの肌を、柔やわらかにつつんで、古き世の男かと、われを疑わしむる。眼に写るものの見えぬほど、濃くまつわりはせぬが、薄絹を一重ひとえ破れば、何の苦もなく、下界の人と、己おのれを見出すように、浅きものではない。一重破り、二重破り、幾重を破り尽すともこの煙りから出す事はならぬ顔に、四方よりわれ一人を、温あたたかき虹にじの中うちに埋うずめ去る。酒に酔うと云う言葉はあるが、煙りに酔うと云う語句を耳にした事がない。あるとすれば、霧には無論使えぬ、霞には少し強過ぎる。ただこの靄に、春宵しゅんしょうの二字を冠したるとき、始めて妥当なるを覚える。
余は湯槽ゆぶねのふちに仰向あおむけの頭を支ささえて、透すき徹とおる湯のなかの軽かろき身体からだを、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂ただよわして見た。ふわり、ふわりと魂たましいがくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽らくなものだ。分別ふんべつの錠前じょうまえを開あけて、執着しゅうじゃくの栓張しんばりをはずす。どうともせよと、湯泉ゆのなかで、湯泉ゆと同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。流れるもののなかに、魂まで流していれば、基督キリストの御弟子となったよりありがたい。なるほどこの調子で考えると、土左衛門どざえもんは風流ふうりゅうである。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択えらんだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画えになるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩ひゆになってしまう。痙攣的けいれんてきな苦悶くもんはもとより、全幅の精神をうち壊こわすが、全然色気いろけのない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以もって、一つ風流な土左衛門どざえもんをかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。
湯のなかに浮いたまま、今度は土左衛門どざえもんの賛さんを作って見る。
雨が降ったら濡ぬれるだろう。
霜しもが下おりたら冷つめたかろ。
土のしたでは暗かろう。
浮かば波の上、
沈まば波の底、
春の水なら苦はなかろ。
と口のうちで小声に誦じゅしつつ漫然まんぜんと浮いていると、どこかで弾ひく三味線の音ねが聞える。美術家だのにと云われると恐縮するが、実のところ、余がこの楽器における智識はすこぶる怪しいもので二が上がろうが、三が下がろうが、耳には余り影響を受けた試ためしがない。しかし、静かな春の夜に、雨さえ興を添える、山里の湯壺ゆつぼの中で、魂たましいまで春の温泉でゆに浮かしながら、遠くの三味を無責任に聞くのははなはだ嬉しい。遠いから何を唄うたって、何を弾いているか無論わからない。そこに何だか趣おもむきがある。音色ねいろの落ちついているところから察すると、上方かみがたの検校けんぎょうさんの地唄じうたにでも聴かれそうな太棹ふとざおかとも思う。
小供の時分、門前に万屋よろずやと云う酒屋があって、そこに御倉おくらさんと云う娘がいた。この御倉さんが、静かな春の昼過ぎになると、必ず長唄の御浚おさらいをする。御浚が始まると、余は庭へ出る。茶畠の十坪余りを前に控ひかえて、三本の松が、客間の東側に並んでいる。この松は周まわり一尺もある大きな樹で、面白い事に、三本寄って、始めて趣のある恰好かっこうを形つくっていた。小供心にこの松を見ると好い心持になる。松の下に黒くさびた鉄灯籠かなどうろうが名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑固爺かたくなじじいのようにかたく坐っている。余はこの灯籠を見詰めるのが大好きであった。灯籠の前後には、苔こけ深き地を抽ぬいて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔に、独ひとり匂うて独り楽しんでいる。余はこの草のなかに、わずかに膝ひざを容いるるの席を見出して、じっと、しゃがむのがこの時分の癖であった。この三本の松の下に、この灯籠を睨にらめて、この草の香かを臭かいで、そうして御倉さんの長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。
御倉さんはもう赤い手絡てがらの時代さえ通り越して、だいぶんと世帯しょたいじみた顔を、帳場へ曝さらしてるだろう。聟むことは折合おりあいがいいか知らん。燕つばくろは年々帰って来て、泥どろを啣ふくんだ嘴くちばしを、いそがしげに働かしているか知らん。燕と酒の香かとはどうしても想像から切り離せない。
三本の松はいまだに好いい恰好かっこうで残っているかしらん。鉄灯籠はもう壊れたに相違ない。春の草は、昔むかし、しゃがんだ人を覚えているだろうか。その時ですら、口もきかずに過ぎたものを、今に見知ろうはずがない。御倉おくらさんの
旅の衣は鈴懸の
と云う、日ひごとの声もよも聞き覚えがあるとは云うまい。
三味しゃみの音ねが思わぬパノラマを余の眼前がんぜんに展開するにつけ、余は床ゆかしい過去の面まのあたりに立って、二十年の昔に住む、頑是がんぜなき小僧と、成り済ましたとき、突然風呂場の戸がさらりと開あいた。
誰か来たなと、身を浮かしたまま、視線だけを入口に注そそぐ。湯槽ゆぶねの縁ふちの最も入口から、隔へだたりたるに頭を乗せているから、槽ふねに下くだる段々は、間あいだ二丈を隔てて斜ななめに余が眼に入る。しかし見上げたる余の瞳にはまだ何物も映らぬ。しばらくは軒を遶めぐる雨垂あまだれの音のみが聞える。三味線はいつの間まにかやんでいた。
やがて階段の上に何物かあらわれた。広い風呂場を照てらすものは、ただ一つの小さき釣つり洋灯ランプのみであるから、この隔りでは澄切った空気を控ひかえてさえ、確しかと物色ぶっしょくはむずかしい。まして立ち上がる湯気の、濃こまやかなる雨に抑おさえられて、逃場にげばを失いたる今宵こよいの風呂に、立つを誰とはもとより定めにくい。一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす灯影ほかげを浴びたる時でなくては、男とも女とも声は掛けられぬ。
黒いものが一歩を下へ移した。踏む石は天鵞
びろうどのごとく柔やわらかと見えて、足音を証しょうにこれを律りっすれば、動かぬと評しても差支さしつかえない。が輪廓は少しく浮き上がる。余は画工だけあって人体の骨格については、存外ぞんがい視覚が鋭敏である。何とも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中に在ある事を覚さとった。
注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾いかんなく、余が前に、早くもあらわれた。漲みなぎり渡る湯煙りの、やわらかな光線を一分子ぶんしごとに含んで、薄紅うすくれないの暖かに見える奥に、漾ただよわす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈せたけを、すらりと伸のした女の姿を見た時は、礼儀の、作法さほうの、風紀ふうきのと云う感じはことごとく、わが脳裏のうりを去って、ただひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。
古代希臘ギリシャの彫刻はいざ知らず、今世仏国きんせいふっこくの画家が命と頼む裸体画を見るたびに、あまりに露骨あからさまな肉の美を、極端まで描がき尽そうとする痕迹こんせきが、ありありと見えるので、どことなく気韻きいんに乏とぼしい心持が、今までわれを苦しめてならなかった。しかしその折々はただどことなく下品だと評するまでで、なぜ下品であるかが、解らぬ故ゆえ、吾知らず、答えを得るに煩悶はんもんして今日こんにちに至ったのだろう。肉を蔽おおえば、うつくしきものが隠れる。かくさねば卑いやしくなる。今の世の裸体画と云うはただかくさぬと云う卑しさに、技巧を留とどめておらぬ。衣ころもを奪いたる姿を、そのままに写すだけにては、物足らぬと見えて、飽あくまでも裸体はだかを、衣冠の世に押し出そうとする。服をつけたるが、人間の常態なるを忘れて、赤裸にすべての権能を附与せんと試みる。十分じゅうぶんで事足るべきを、十二分じゅうにぶんにも、十五分じゅうごぶんにも、どこまでも進んで、ひたすらに、裸体であるぞと云う感じを強く描出びょうしゅつしようとする。技巧がこの極端に達したる時、人はその観者かんじゃを強しうるを陋ろうとする。うつくしきものを、いやが上に、うつくしくせんと焦あせるとき、うつくしきものはかえってその度どを減ずるが例である。人事についても満は損を招くとの諺ことわざはこれがためである。
放心ほうしんと無邪気とは余裕を示す。余裕は画えにおいて、詩において、もしくは文章において、必須ひっすうの条件である。今代芸術きんだいげいじゅつの一大弊竇へいとうは、いわゆる文明の潮流が、いたずらに芸術の士を駆って、拘々くくとして随処に齷齪あくそくたらしむるにある。裸体画はその好例であろう。都会に芸妓げいぎと云うものがある。色を売りて、人に媚こびるを商売にしている。彼らは嫖客ひょうかくに対する時、わが容姿のいかに相手の瞳子ひとみに映ずるかを顧慮こりょするのほか、何らの表情をも発揮はっきし得ぬ。年々に見るサロンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人を以て充満している。彼らは一秒時も、わが裸体なるを忘るる能あたわざるのみならず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示さんと力つとめている。
今余が面前に娉
ひょうていと現われたる姿には、一塵もこの俗埃ぞくあいの眼に遮さえぎるものを帯びておらぬ。常の人の纏まとえる衣装いしょうを脱ぎ捨てたる様さまと云えばすでに人界にんがいに堕在だざいする。始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代かみよの姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。
室を埋うずむる湯煙は、埋めつくしたる後あとから、絶えず湧わき上がる。春の夜よの灯ひを半透明に崩くずし拡げて、部屋一面の虹霓にじの世界が濃こまやかに揺れるなかに、朦朧もうろうと、黒きかとも思わるるほどの髪を暈ぼかして、真白な姿が雲の底から次第に浮き上がって来る。その輪廓りんかくを見よ。
頸筋くびすじを軽かろく内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分わかれるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑なめらかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢いきおいを後うしろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾かたむく。逆ぎゃくに受くる膝頭ひざがしらのこのたびは、立て直して、長きうねりの踵かかとにつく頃、平ひらたき足が、すべての葛藤かっとうを、二枚の蹠あしのうらに安々と始末する。世の中にこれほど錯雑さくざつした配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔やわらかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。
しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛れいふんのなかに髣髴ほうふつとして、十分じゅうぶんの美を奥床おくゆかしくもほのめかしているに過ぎぬ。片鱗へんりんを溌墨淋漓はつぼくりんりの間あいだに点じて、
竜きゅうりょうの怪かいを、楮毫ちょごうのほかに想像せしむるがごとく、芸術的に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、冥
めいばくなる調子とを具そなえている。六々三十六鱗りんを丁寧に描きたる竜りゅうの、滑稽こっけいに落つるが事実ならば、赤裸々せきららの肉を浄洒々じょうしゃしゃに眺めぬうちに神往の余韻よいんはある。余はこの輪廓の眼に落ちた時、桂かつらの都みやこを逃れた月界げっかいの嫦娥じょうがが、彩虹にじの追手おってに取り囲まれて、しばらく躊躇ちゅうちょする姿と眺ながめた。
輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥じょうがが、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那せつなに、緑の髪は、波を切る霊亀れいきの尾のごとくに風を起して、莽ぼうと靡なびいた。渦捲うずまく煙りを劈つんざいて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向むこうへ遠退とおのく。余はがぶりと湯を呑のんだまま槽ふねの中に突立つったつ。驚いた波が、胸へあたる。縁ふちを越す湯泉ゆの音がさあさあと鳴る。
八
御茶の御馳走ごちそうになる。相客あいきゃくは僧一人、観海寺かんかいじの和尚おしょうで名は大徹だいてつと云うそうだ。俗ぞく一人、二十四五の若い男である。
老人の部屋は、余が室しつの廊下を右へ突き当って、左へ折れた行いき留どまりにある。大おおきさは六畳もあろう。大きな紫檀したんの机を真中に据すえてあるから、思ったより狭苦しい。それへと云う席を見ると、布団ふとんの代りに花毯かたんが敷いてある。無論支那製だろう。真中を六角に仕切しきって、妙な家と、妙な柳が織り出してある。周囲まわりは鉄色に近い藍あいで、四隅よすみに唐草からくさの模様を飾った茶の輪わを染め抜いてある。支那ではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用して見るとすこぶる面白い。印度インドの更紗さらさとか、ペルシャの壁掛かべかけとか号するものが、ちょっと間まが抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに趣おもむきがある。花毯ばかりではない、すべて支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとするところが尊とうとい。日本は巾着切きんちゃくきりの態度で美術品を作る。西洋は大きくて細こまかくて、そうしてどこまでも娑婆気しゃばっけがとれない。まずこう考えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の半なかばを占領した。
和尚は虎の皮の上へ坐った。虎の皮の尻尾が余の膝ひざの傍を通り越して、頭は老人の臀しりの下に敷かれている。老人は頭の毛をことごとく抜いて、頬と顎あごへ移植したように、白い髯ひげをむしゃむしゃと生はやして、茶托ちゃたくへ載のせた茶碗を丁寧に机の上へならべる。
「今日きょうは久し振りで、うちへ御客が見えたから、御茶を上げようと思って、……」と坊さんの方を向くと、
「いや、御使おつかいをありがとう。わしも、だいぶ御無沙汰ごぶさたをしたから、今日ぐらい来て見ようかと思っとったところじゃ」と云う。この僧は六十近い、丸顔の、達磨だるまを草書そうしょに崩くずしたような容貌ようぼうを有している。老人とは平常ふだんからの昵懇じっこんと見える。
「この方かたが御客さんかな」
老人は首肯うなずきながら、朱泥しゅでいの急須きゅうすから、緑を含む琥珀色こはくいろの玉液ぎょくえきを、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清い香かおりがかすかに鼻を襲おそう気分がした。
「こんな田舎いなかに一人ひとりでは御淋おさみしかろ」と和尚おしょうはすぐ余に話しかけた。
「はああ」となんともかとも要領を得ぬ返事をする。淋さびしいと云えば、偽いつわりである。淋しからずと云えば、長い説明が入る。
「なんの、和尚さん。このかたは画えを書かれるために来られたのじゃから、御忙おいそがしいくらいじゃ」
「おお左様さようか、それは結構だ。やはり南宗派なんそうはかな」
「いいえ」と今度は答えた。西洋画だなどと云っても、この和尚にはわかるまい。
「いや、例の西洋画じゃ」と老人は、主人役に、また半分引き受けてくれる。
「ははあ、洋画か。すると、あの久一きゅういちさんのやられるようなものかな。あれは、わしこの間始めて見たが、随分奇麗にかけたのう」
「いえ、詰らんものです」と若い男がこの時ようやく口を開いた。
「御前何ぞ和尚さんに見ていただいたか」と老人が若い男に聞く。言葉から云うても、様子から云うても、どうも親類らしい。
「なあに、見ていただいたんじゃないですが、鏡かがみが池いけで写生しているところを和尚さんに見つかったのです」
「ふん、そうか――さあ御茶が注つげたから、一杯」と老人は茶碗を各自めいめいの前に置く。茶の量は三四滴に過ぎぬが、茶碗はすこぶる大きい。生壁色なまかべいろの地へ、焦こげた丹たんと、薄い黄きで、絵だか、模様だか、鬼の面の模様になりかかったところか、ちょっと見当のつかないものが、べたに描かいてある。
「杢兵衛もくべえです」と老人が簡単に説明した。
「これは面白い」と余も簡単に賞ほめた。
「杢兵衛はどうも偽物にせものが多くて、――その糸底いとぞこを見て御覧なさい。銘めいがあるから」と云う。
取り上げて、障子しょうじの方へ向けて見る。障子には植木鉢の葉蘭はらんの影が暖かそうに写っている。首を曲まげて、覗のぞき込むと、杢もくの字が小さく見える。銘は観賞の上において、さのみ大切のものとは思わないが、好事者こうずしゃはよほどこれが気にかかるそうだ。茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。濃く甘あまく、湯加減ゆかげんに出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味あじわって見るのは閑人適意かんじんてきいの韻事いんじである。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭ぜっとうへぽたりと載のせて、清いものが四方へ散れば咽喉のどへ下くだるべき液はほとんどない。ただ馥郁ふくいくたる匂においが食道から胃のなかへ沁しみ渡るのみである。歯を用いるは卑いやしい。水はあまりに軽い。玉露ぎょくろに至っては濃こまやかなる事、淡水たんすいの境きょうを脱して、顎あごを疲らすほどの硬かたさを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。
老人はいつの間にやら、青玉せいぎょくの菓子皿を出した。大きな塊かたまりを、かくまで薄く、かくまで規則正しく、刳くりぬいた匠人しょうじんの手際てぎわは驚ろくべきものと思う。すかして見ると春の日影は一面に射さし込んで、射し込んだまま、逃のがれ出いずる路みちを失ったような感じである。中には何も盛らぬがいい。
「御客さんが、青磁せいじを賞ほめられたから、今日はちとばかり見せようと思うて、出して置きました」
「どの青磁を――うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好すきじゃ。時にあなた、西洋画では襖ふすまなどはかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」
かいてくれなら、かかぬ事もないが、この和尚おしょうの気に入いるか入らぬかわからない。せっかく骨を折って、西洋画は駄目だなどと云われては、骨の折栄おりばえがない。
「襖には向かないでしょう」
「向かんかな。そうさな、この間あいだの久一さんの画えのようじゃ、少し派手はで過ぎるかも知れん」
「私のは駄目です。あれはまるでいたずらです」と若い男はしきりに、恥はずかしがって謙遜けんそんする。
「その何とか云う池はどこにあるんですか」と余は若い男に念のため尋ねて置く。
「ちょっと観海寺の裏の谷の所で、幽邃ゆうすいな所です。――なあに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれに、やって見ただけです」
「観海寺と云うと……」
「観海寺と云うと、わしのいる所じゃ。いい所じゃ、海を一目ひとめに見下みおろしての――まあ逗留とうりゅう中にちょっと来て御覧。なに、ここからはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるじゃろうが」
「いつか御邪魔に上あがってもいいですか」
「ああいいとも、いつでもいる。ここの御嬢さんも、よう、来られる。――御嬢さんと云えば今日は御那美おなみさんが見えんようだが――どうかされたかな、隠居さん」
「どこぞへ出ましたかな、久一きゅういち、御前の方へ行きはせんかな」
「いいや、見えません」
「また独ひとり散歩かな、ハハハハ。御那美さんはなかなか足が強い。この間あいだ法用で礪並となみまで行ったら、姿見橋すがたみばしの所で――どうも、善く似とると思ったら、御那美さんよ。尻を端折はしょって、草履ぞうりを穿はいて、和尚おしょうさん、何をぐずぐず、どこへ行きなさると、いきなり、驚ろかされたて、ハハハハ。御前はそんな形姿なりで地体じたいどこへ、行ったのぞいと聴くと、今芹摘せりつみに行った戻りじゃ、和尚さん少しやろうかと云うて、いきなりわしの袂たもとへ泥どろだらけの芹を押し込んで、ハハハハハ」
「どうも、……」と老人は苦笑にがわらいをしたが、急に立って「実はこれを御覧に入れるつもりで」と話をまた道具の方へそらした。
老人が紫檀したんの書架から、恭うやうやしく取り下おろした紋緞子もんどんすの古い袋は、何だか重そうなものである。
「和尚さん、あなたには、御目に懸かけた事があったかな」
「なんじゃ、一体」
「硯すずりよ」
「へえ、どんな硯かい」
「山陽さんようの愛蔵したと云う……」
「いいえ、そりゃまだ見ん」
「春水しゅんすいの替え蓋ぶたがついて……」
「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」
老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆色あずきいろの四角な石が、ちらりと角かどを見せる。
「いい色合いろあいじゃのう。端渓たんけいかい」
「端渓で
眼くよくがんが九ここのつある」
「九つ?」と和尚大おおいに感じた様子である。
「これが春水の替え蓋」と老人は綸子りんずで張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で七言絶句しちごんぜっくが書いてある。
「なるほど。春水はようかく。ようかくが、書しょは杏坪きょうへいの方が上手じょうずじゃて」
「やはり杏坪の方がいいかな」
「山陽さんようが一番まずいようだ。どうも才子肌さいしはだで俗気ぞくきがあって、いっこう面白うない」
「ハハハハ。和尚おしょうさんは、山陽が嫌きらいだから、今日は山陽の幅ふくを懸け替かえて置いた」
「ほんに」と和尚さんは後うしろを振り向く。床とこは平床ひらどこを鏡のようにふき込んで、
気さびけを吹いた古銅瓶こどうへいには、木蘭もくらんを二尺の高さに、活いけてある。軸じくは底光りのある古錦襴こきんらんに、装幀そうていの工夫くふうを籠こめた物徂徠ぶっそらいの大幅たいふくである。絹地ではないが、多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が周囲のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴も織りたては、あれほどのゆかしさも無かったろうに、彩色さいしきが褪あせて、金糸きんしが沈んで、華麗はでなところが滅めり込んで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったのだと思う。焦茶こげちゃの砂壁すなかべに、白い象牙ぞうげの軸じくが際立きわだって、両方に突張っている、手前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、床とこ全体の趣おもむきは落ちつき過ぎてむしろ陰気である。
「徂徠そらいかな」と和尚おしょうが、首を向けたまま云う。
「徂徠もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは善かろうと思うて」
「それは徂徠の方が遥はるかにいい。享保きょうほ頃の学者の字はまずくても、どこぞに品ひんがある」
「広沢こうたくをして日本の能書のうしょならしめば、われはすなわち漢人の拙せつなるものと云うたのは、徂徠だったかな、和尚さん」
「わしは知らん。そう威張いばるほどの字でもないて、ワハハハハ」
「時に和尚さんは、誰を習われたのかな」
「わしか。禅坊主ぜんぼうずは本も読まず、手習てならいもせんから、のう」
「しかし、誰ぞ習われたろう」
「若い時に高泉こうせんの字を、少し稽古けいこした事がある。それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハハハハ。時にその端渓たんけいを一つ御見せ」と和尚が催促する。
とうとう緞子どんすの袋を取り除のける。一座の視線はことごとく硯すずりの上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例のものの倍はあろう。四寸に六寸の幅も長さもまず並なみと云ってよろしい。蓋ふたには、鱗うろこのかたに研みがきをかけた松の皮をそのまま用いて、上には朱漆しゅうるしで、わからぬ書体が二字ばかり書いてある。
「この蓋が」と老人が云う。「この蓋が、ただの蓋ではないので、御覧の通り、松の皮には相違ないが……」
老人の眼は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいかなる因縁いんねんがあろうと、画工として余はあまり感服は出来んから、
「松の蓋は少し俗ですな」
と云った。老人はまあと云わぬばかりに手を挙あげて、
「ただ松の蓋と云うばかりでは、俗でもあるが、これはその何ですよ。山陽さんようが広島におった時に庭に生えていた松の皮を剥はいで山陽が手ずから製したのですよ」
なるほど山陽さんようは俗な男だと思ったから、
「どうせ、自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなものですな。わざとこの鱗うろこのかたなどをぴかぴか研とぎ出さなくっても、よさそうに思われますが」と遠慮のないところを云って退のけた。
「ワハハハハ。そうよ、この蓋ふたはあまり安っぽいようだな」と和尚おしょうはたちまち余に賛成した。
若い男は気の毒そうに、老人の顔を見る。老人は少々不機嫌の体ていに蓋を払いのけた。下からいよいよ硯すずりが正体しょうたいをあらわす。
もしこの硯について人の眼を峙そばだつべき特異の点があるとすれば、その表面にあらわれたる匠人しょうじんの刻こくである。真中まんなかに袂時計たもとどけいほどな丸い肉が、縁ふちとすれすれの高さに彫ほり残されて、これを蜘蛛くもの背せに象かたどる。中央から四方に向って、八本の足が彎曲わんきょくして走ると見れば、先には各おのおの
眼くよくがんを抱かかえている。残る一個は背の真中に、黄きな汁しるをしたたらしたごとく煮染にじんで見える。背と足と縁を残して余る部分はほとんど一寸余の深さに掘り下げてある。墨を湛たたえる所は、よもやこの塹壕ざんごうの底ではあるまい。たとい一合の水を注ぐともこの深さを充みたすには足らぬ。思うに水盂すいうの中うちから、一滴の水を銀杓ぎんしゃくにて、蜘蛛くもの背に落したるを、貴とうとき墨に磨すり去るのだろう。それでなければ、名は硯でも、その実は純然たる文房用ぶんぼうようの装飾品に過ぎぬ。
老人は涎よだれの出そうな口をして云う。
「この肌合はだあいと、この眼がんを見て下さい」
なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢じゅんたくを帯びたる肌の上に、はっと、一息懸ひといきかけたなら、直ただちに凝こって、一朶いちだの雲を起すだろうと思われる。ことに驚くべきは眼の色である。眼の色と云わんより、眼と地の相交あいまじわる所が、次第に色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど吾眼わがめの欺あざむかれたるを見出し得ぬ事である。形容して見ると紫色の蒸羊羹むしようかんの奥に、隠元豆いんげんまめを、透すいて見えるほどの深さに嵌はめ込んだようなものである。眼と云えば一個二個でも大変に珍重される。九個と云ったら、ほとんど類るいはあるまい。しかもその九個が整然と同距離に按排あんばいされて、あたかも人造のねりものと見違えらるるに至ってはもとより天下の逸品いっぴんをもって許さざるを得ない。
「なるほど結構です。観みて心持がいいばかりじゃありません。こうして触さわっても愉快です」と云いながら、余は隣りの若い男に硯を渡した。
「久一きゅういちに、そんなものが解るかい」と老人が笑いながら聞いて見る。久一君は、少々自棄やけの気味で、
「分りゃしません」と打ち遣やったように云い放ったが、わからん硯を、自分の前へ置いて、眺ながめていては、もったいないと気がついたものか、また取り上げて、余に返した。余はもう一遍ぺん丁寧に撫なで廻わした後のち、とうとうこれを恭うやうやしく禅師ぜんじに返却した。禅師はとくと掌ての上で見済ました末、それでは飽あき足らぬと考えたと見えて、鼠木綿ねずみもめんの着物の袖そでを容赦なく蜘蛛くもの背へこすりつけて、光沢つやの出た所をしきりに賞翫しょうがんしている。
「隠居さん、どうもこの色が実に善よいな。使うた事があるかの」
「いいや、滅多めったには使いとう、ないから、まだ買うたなりじゃ」
「そうじゃろ。こないなのは支那しなでも珍らしかろうな、隠居さん」
「左様さよう」
「わしも一つ欲しいものじゃ。何なら久一さんに頼もうか。どうかな、買うて来ておくれかな」
「へへへへ。硯すずりを見つけないうちに、死んでしまいそうです」
「本当に硯どころではないな。時にいつ御立ちか」
「二三日にさんちうちに立ちます」
「隠居さん。吉田まで送って御やり」
「普段なら、年は取っとるし、まあ見合みあわすところじゃが、ことによると、もう逢あえんかも、知れんから、送ってやろうと思うております」
「御伯父おじさんは送ってくれんでもいいです」
若い男はこの老人の甥おいと見える。なるほどどこか似ている。
「なあに、送って貰うがいい。川船かわふねで行けば訳はない。なあ隠居さん」
「はい、山越やまごしでは難義だが、廻り路でも船なら……」
若い男は今度は別に辞退もしない。ただ黙っている。
「支那の方へおいでですか」と余はちょっと聞いて見た。
「ええ」
ええの二字では少し物足らなかったが、その上掘って聞く必要もないから控ひかえた。障子しょうじを見ると、蘭らんの影が少し位置を変えている。
「なあに、あなた。やはり今度の戦争で――これがもと志願兵をやったものだから、それで召集されたので」
老人は当人に代って、満洲の野やに日ならず出征すべきこの青年の運命を余に語つげた。この夢のような詩のような春の里に、啼なくは鳥、落つるは花、湧わくは温泉いでゆのみと思い詰つめていたのは間違である。現実世界は山を越え、海を越えて、平家へいけの後裔こうえいのみ住み古るしたる孤村にまで逼せまる。朔北さくほくの曠野こうやを染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸ほとばしる時が来るかも知れない。この青年の腰に吊つる長き剣つるぎの先から煙りとなって吹くかも知れない。しかしてその青年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得ざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。その鼓動のうちには、百里の平野を捲まく高き潮うしおが今すでに響いているかも知れぬ。運命は卒然そつぜんとしてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。
九
「御勉強ですか」と女が云う。部屋に帰った余は、三脚几さんきゃくきに縛しばりつけた、書物の一冊を抽ぬいて読んでいた。
「御這入おはいりなさい。ちっとも構いません」
女は遠慮する景色けしきもなく、つかつかと這入る。くすんだ半襟はんえりの中から、恰好かっこうのいい頸くびの色が、あざやかに、抽ぬき出ている。女が余の前に坐った時、この頸とこの半襟の対照が第一番に眼についた。
「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね」
「なあに」
「じゃ何が書いてあるんです」
「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」
「ホホホホ。それで御勉強なの」
「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開あけて、開いた所をいい加減に読んでるんです」
「それで面白いんですか」
「それが面白いんです」
「なぜ?」
「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」
「よっぽど変っていらっしゃるのね」
「ええ、ちっと変ってます」
「初から読んじゃ、どうして悪るいでしょう」
「初から読まなけりゃならないとすると、しまいまで読まなけりゃならない訳になりましょう」
「妙な理窟りくつだ事。しまいまで読んだっていいじゃありませんか」
「無論わるくは、ありませんよ。筋を読む気なら、わたしだって、そうします」
「筋を読まなけりゃ何を読むんです。筋のほかに何か読むものがありますか」
余は、やはり女だなと思った。多少試験してやる気になる。
「あなたは小説が好きですか」
「私が?」と句を切った女は、あとから「そうですねえ」と判然はっきりしない返事をした。あまり好きでもなさそうだ。
「好きだか、嫌きらいだか自分にも解らないんじゃないですか」
「小説なんか読んだって、読まなくったって……」
と眼中にはまるで小説の存在を認めていない。
「それじゃ、初から読んだって、しまいから読んだって、いい加減な所をいい加減に読んだって、いい訳じゃありませんか。あなたのようにそう不思議がらないでもいいでしょう」
「だって、あなたと私とは違いますもの」
「どこが?」と余は女の眼の中うちを見詰めた。試験をするのはここだと思ったが、女の眸ひとみは少しも動かない。
「ホホホホ解りませんか」
「しかし若いうちは随分御読みなすったろう」余は一本道で押し合うのをやめにして、ちょっと裏へ廻った。
「今でも若いつもりですよ。可哀想かわいそうに」放した鷹たかはまたそれかかる。すこしも油断がならん。
「そんな事が男の前で云えれば、もう年寄のうちですよ」と、やっと引き戻した。
「そう云うあなたも随分の御年じゃあ、ありませんか。そんなに年をとっても、やっぱり、惚ほれたの、腫はれたの、にきびが出来たのってえ事が面白いんですか」
「ええ、面白いんです、死ぬまで面白いんです」
「おやそう。それだから画工えかきなんぞになれるんですね」
「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留とうりゅうしているうちは毎日話をしたいくらいです。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」
「すると不人情ふにんじょうな惚れ方をするのが画工なんですね」
「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤おみくじを引くように、ぱっと開あけて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」
「なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃる所を、少し話してちょうだい。どんな面白い事が出てくるか伺いたいから」
「話しちゃ駄目です。画えだって話にしちゃ一文の価値ねうちもなくなるじゃありませんか」
「ホホホそれじゃ読んで下さい」
「英語でですか」
「いいえ日本語で」
「英語を日本語で読むのはつらいな」
「いいじゃありませんか、非人情で」
これも一興いっきょうだろうと思ったから、余は女の乞こいに応じて、例の書物をぽつりぽつりと日本語で読み出した。もし世界に非人情な読み方があるとすればまさにこれである。聴きく女ももとより非人情で聴いている。
「情なさけの風が女から吹く。声から、眼から、肌はだえから吹く。男に扶たすけられて舳ともに行く女は、夕暮のヴェニスを眺ながむるためか、扶くる男はわが脈みゃくに稲妻いなずまの血を走らすためか。――非人情だから、いい加減ですよ。ところどころ脱けるかも知れません」
「よござんすとも。御都合次第で、御足おたしなすっても構いません」
「女は男とならんで舷ふなばたに倚よる。二人の隔へだたりは、風に吹かるるリボンの幅よりも狭い。女は男と共にヴェニスに去らばと云う。ヴェニスなるドウジの殿楼でんろうは今第二の日没のごとく、薄赤く消えて行く。……」
「ドージとは何です」
「何だって構やしません。昔むかしヴェニスを支配した人間の名ですよ。何代つづいたものですかね。その御殿が今でもヴェニスに残ってるんです」
「それでその男と女と云うのは誰の事なんでしょう」
「誰だか、わたしにも分らないんだ。それだから面白いのですよ。今までの関係なんかどうでもいいでさあ。ただあなたとわたしのように、こういっしょにいるところなんで、その場限りで面白味があるでしょう」
「そんなものですかね。何だか船の中のようですね」
「船でも岡でも、かいてある通りでいいんです。なぜと聞き出すと探偵たんていになってしまうです」
「ホホホホじゃ聴きますまい」
「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないから、ちっとも趣おもむきがない」
「じゃ非人情の続きを伺いましょう。それから?」
「ヴェニスは沈みつつ、沈みつつ、ただ空に引く一抹いちまつの淡き線となる。線は切れる。切れて点となる。蛋白石とんぼだまの空のなかに円まるき柱が、ここ、かしこと立つ。ついには最も高く聳そびえたる鐘楼しゅろうが沈む。沈んだと女が云う。ヴェニスを去る女の心は空行く風のごとく自由である。されど隠れたるヴェニスは、再び帰らねばならぬ女の心に覊絏きせつの苦しみを与う。男と女は暗き湾の方かたに眼を注ぐ。星は次第に増す。柔らかに揺ゆらぐ海は泡あわを濺そそがず。男は女の手を把とる。鳴りやまぬ弦ゆづるを握った心地ここちである。……」
「あんまり非人情でもないようですね」
「なにこれが非人情的に聞けるのですよ。しかし厭いやなら少々略しましょうか」
「なに私は大丈夫ですよ」
「わたしは、あなたよりなお大丈夫です。――それからと、ええと、少しく六むずかしくなって来たな。どうも訳し――いや読みにくい」
「読みにくければ、御略おりゃくしなさい」
「ええ、いい加減にやりましょう。――この一夜ひとよと女が云う。一夜? と男がきく。一と限るはつれなし、幾夜いくよを重ねてこそと云う」
「女が云うんですか、男が云うんですか」
「男が云うんですよ。何でも女がヴェニスへ帰りたくないのでしょう。それで男が慰める語ことばなんです。――真夜中の甲板かんぱんに帆綱を枕にして横よこたわりたる、男の記憶には、かの瞬時、熱き一滴の血に似たる瞬時、女の手を確しかと把とりたる瞬時が大濤おおなみのごとくに揺れる。男は黒き夜を見上げながら、強しいられたる結婚の淵ふちより、是非に女を救い出さんと思い定めた。かく思い定めて男は眼を閉とずる。――」
「女は?」
「女は路に迷いながら、いずこに迷えるかを知らぬ様さまである。攫さらわれて空行く人のごとく、ただ不可思議の千万無量――あとがちょっと読みにくいですよ。どうも句にならない。――ただ不可思議の千万無量――何か動詞はないでしょうか」
「動詞なんぞいるものですか、それで沢山です」
「え?」
轟ごうと音がして山の樹きがことごとく鳴る。思わず顔を見合わす途端とたんに、机の上の一輪挿いちりんざしに活いけた、椿つばきがふらふらと揺れる。「地震!」と小声で叫んだ女は、膝ひざを崩くずして余の机に靠よりかかる。御互おたがいの身躯からだがすれすれに動く。キキーと鋭するどい羽摶はばたきをして一羽の雉子きじが藪やぶの中から飛び出す。
「雉子が」と余は窓の外を見て云う。
「どこに」と女は崩した、からだを擦寄すりよせる。余の顔と女の顔が触れぬばかりに近づく。細い鼻の穴から出る女の呼吸いきが余の髭ひげにさわった。
「非人情ですよ」と女はたちまち坐住居いずまいを正しながら屹きっと云う。
「無論」と言下ごんかに余は答えた。
岩の凹くぼみに湛たたえた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと鈍ぬるく揺うごいている。地盤の響きに、満泓まんおうの波が底から動くのだから、表面が不規則に曲線を描くのみで、砕くだけた部分はどこにもない。円満に動くと云う語があるとすれば、こんな場合に用いられるのだろう。落ちついて影を
ひたしていた山桜が、水と共に、延びたり縮んだり、曲がったり、くねったりする。しかしどう変化してもやはり明らかに桜の姿を保たもっているところが非常に面白い。
「こいつは愉快だ。奇麗きれいで、変化があって。こう云う風に動かなくっちゃ面白くない」
「人間もそう云う風にさえ動いていれば、いくら動いても大丈夫ですね」
「非人情でなくっちゃ、こうは動けませんよ」
「ホホホホ大変非人情が御好きだこと」
「あなた、だって嫌きらいな方じゃありますまい。昨日きのうの振袖ふりそでなんか……」と言いかけると、
「何か御褒美ごほうびをちょうだい」と女は急に甘あまえるように云った。
「なぜです」
「見たいとおっしゃったから、わざわざ、見せて上げたんじゃありませんか」
「わたしがですか」
「山越やまごえをなさった画えの先生が、茶店の婆さんにわざわざ御頼みになったそうで御座います」
余は何と答えてよいやらちょっと挨拶あいさつが出なかった。女はすかさず、
「そんな忘れっぽい人に、いくら実じつをつくしても駄目ですわねえ」と嘲あざけるごとく、恨うらむがごとく、また真向まっこうから切りつけるがごとく二の矢をついだ。だんだん旗色はたいろがわるくなるが、どこで盛り返したものか、いったん機先を制せられると、なかなか隙すきを見出しにくい。
「じゃ昨夕ゆうべの風呂場も、全く御親切からなんですね」と際きわどいところでようやく立て直す。
女は黙っている。
「どうも済みません。御礼に何を上げましょう」と出来るだけ先へ出て置く。いくら出ても何の利目ききめもなかった。女は何喰わぬ顔で大徹和尚だいてつおしょうの額を眺ながめている。やがて、
「竹影ちくえい払階かいをはらって塵不動ちりうごかず」
と口のうちで静かに読み了おわって、また余の方へ向き直ったが、急に思い出したように、
「何ですって」
と、わざと大きな声で聞いた。その手は喰わない。
「その坊主にさっき逢あいましたよ」と地震に揺ゆれた池の水のように円満な動き方をして見せる。
「観海寺かんかいじの和尚ですか。肥ふとってるでしょう」
「西洋画で唐紙からかみをかいてくれって、云いましたよ。禅坊さんなんてものは随分訳わけのわからない事を云いますね」
「それだから、あんなに肥れるんでしょう」
「それから、もう一人若い人に逢いましたよ。……」
「久一きゅういちでしょう」
「ええ久一君です」
「よく御存じです事」
「なに久一君だけ知ってるんです。そのほかには何にも知りゃしません。口を聞くのが嫌きらいな人ですね」
「なに、遠慮しているんです。まだ小供ですから……」
「小供って、あなたと同じくらいじゃありませんか」
「ホホホホそうですか。あれは私わたくしの従弟いとこですが、今度戦地へ行くので、暇乞いとまごいに来たのです」
「ここに留とまって、いるんですか」
「いいえ、兄の家うちにおります」
「じゃ、わざわざ御茶を飲みに来た訳ですね」
「御茶より御白湯おゆの方が好すきなんですよ。父がよせばいいのに、呼ぶものですから。麻痺しびれが切れて困ったでしょう。私がおれば中途から帰してやったんですが……」
「あなたはどこへいらしったんです。和尚おしょうが聞いていましたぜ、また一人ひとり散歩かって」
「ええ鏡の池の方を廻って来ました」
「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」
「行って御覧なさい」
「画えにかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
「身はまだなかなか投げないつもりです」
「私は近々きんきん投げるかも知れません」
余りに女としては思い切った冗談じょうだんだから、余はふと顔を上げた。女は存外たしかである。
「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」
「え?」
「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」
女はすらりと立ち上る。三歩にして尽くる部屋の入口を出るとき、顧かえりみてにこりと笑った。茫然ぼうぜんたる事多時たじ。
十
鏡が池へ来て見る。観海寺の裏道の、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二股ふたまたに岐わかれて、おのずから鏡が池の周囲となる。池の縁ふちには熊笹くまざさが多い。ある所は、左右から生おい重なって、ほとんど音を立てずには通れない。木の間から見ると、池の水は見えるが、どこで始まって、どこで終るか一応廻った上でないと見当がつかぬ。あるいて見ると存外小さい。三丁ほどよりあるまい。ただ非常に不規則な形かたちで、ところどころに岩が自然のまま水際みずぎわに横よこたわっている。縁の高さも、池の形の名状しがたいように、波を打って、色々な起伏を不規則に連つらねている。
池をめぐりては雑木ぞうきが多い。何百本あるか勘定かんじょうがし切れぬ。中には、まだ春の芽を吹いておらんのがある。割合に枝の繁こまない所は、依然として、うららかな春の日を受けて、萌もえ出でた下草したぐささえある。壺菫つぼすみれの淡き影が、ちらりちらりとその間に見える。
日本の菫は眠っている感じである。「天来てんらいの奇想のように」、と形容した西人せいじんの句はとうていあてはまるまい。こう思う途端とたんに余の足はとまった。足がとまれば、厭いやになるまでそこにいる。いられるのは、幸福な人である。東京でそんな事をすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さなければ巡査が追い立てる。都会は太平の民たみを乞食こじきと間違えて、掏摸すりの親分たる探偵たんていに高い月俸を払う所である。
余は草を茵しとねに太平の尻をそろりと卸おろした。ここならば、五六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す気遣きづかいはない。自然のありがたいところはここにある。いざとなると容赦ようしゃも未練みれんもない代りには、人に因よって取り扱をかえるような軽薄な態度はすこしも見せない。岩崎いわさきや三井みついを眼中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として古今ここん帝王の権威を風馬牛ふうばぎゅうし得るものは自然のみであろう。自然の徳は高く塵界を超越して、対絶の平等観びょうどうかんを無辺際むへんさいに樹立している。天下の羣小ぐんしょうを麾さしまねいで、いたずらにタイモンの憤いきどおりを招くよりは、蘭らんを九
えんに滋まき、
けいを百畦けいに樹うえて、独ひとりその裏うちに起臥きがする方が遥かに得策である。余は公平と云い無私むしと云う。さほど大事だいじなものならば、日に千人の小賊しょうぞくを戮りくして、満圃まんぽの草花を彼らの屍しかばねに培養つちかうがよかろう。
何だか考かんがえが理りに落ちていっこうつまらなくなった。こんな中学程度の観想かんそうを練りにわざわざ、鏡が池まで来はせぬ。袂たもとから煙草たばこを出して、寸燐マッチをシュッと擦する。手応てごたえはあったが火は見えない。敷島しきしまのさきに付けて吸ってみると、鼻から煙が出た。なるほど、吸ったんだなとようやく気がついた。寸燐マッチは短かい草のなかで、しばらく雨竜あまりょうのような細い煙りを吐いて、すぐ寂滅じゃくめつした。席をずらせてだんだん水際みずぎわまで出て見る。余が茵は天然に池のなかに、ながれ込んで、足を浸ひたせば生温なまぬるい水につくかも知れぬと云う間際まぎわで、とまる。水を覗のぞいて見る。
眼の届く所はさまで深そうにもない。底には細長い水草みずぐさが、往生おうじょうして沈んでいる。余は往生と云うよりほかに形容すべき言葉を知らぬ。岡の薄すすきなら靡なびく事を知っている。藻もの草ならば誘さそう波の情なさけを待つ。百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての姿勢を調ととのえて、朝な夕なに、弄なぶらるる期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代いくよの思おもいを茎くきの先に籠こめながら、今に至るまでついに動き得ずに、また死に切れずに、生きているらしい。
余は立ち上がって、草の中から、手頃の石を二つ拾って来る。功徳くどくになると思ったから、眼の先へ、一つ抛ほうり込んでやる。ぶくぶくと泡あわが二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして見ると、三茎みくきほどの長い髪が、慵ものうげに揺れかかっている。見つかってはと云わぬばかりに、濁った水が底の方から隠しに来る。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ。
今度は思い切って、懸命に真中まんなかへなげる。ぽかんと幽かすかに音がした。静かなるものは決して取り合わない。もう抛なげる気も無くなった。絵の具箱と帽子を置いたまま右手へ廻る。
二間余りを爪先上つまさきあがりに登る。頭の上には大きな樹きがかぶさって、身体からだが急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿つばきが咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向ひなたで見ても、軽快な感じはない。ことにこの椿は岩角いわかどを、奥へ二三間遠退とおのいて、花がなければ、何があるか気のつかない所に森閑しんかんとして、かたまっている。その花が! 一日勘定かんじょうしても無論勘定し切れぬほど多い。しかし眼がつけば是非勘定したくなるほど鮮あざやかである。ただ鮮かと云うばかりで、いっこう陽気な感じがない。ぱっと燃え立つようで、思わず、気を奪とられた、後あとは何だか凄すごくなる。あれほど人を欺だます花はない。余は深山椿みやまつばきを見るたびにいつでも妖女ようじょの姿を連想する。黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、嫣然えんぜんたる毒を血管に吹く。欺あざむかれたと悟さとった頃はすでに遅い。向う側の椿が眼に入いった時、余は、ええ、見なければよかったと思った。あの花の色はただの赤ではない。眼を醒さますほどの派出はでやかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持っている。悄然しょうぜんとして萎しおれる雨中うちゅうの梨花りかには、ただ憐れな感じがする。冷やかに艶えんなる月下げっかの海棠かいどうには、ただ愛らしい気持ちがする。椿の沈んでいるのは全く違う。黒ずんだ、毒気のある、恐ろし味みを帯びた調子である。この調子を底に持って、上部うわべはどこまでも派出に装よそおっている。しかも人に媚こぶる態さまもなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜せいそうを、人目にかからぬ山陰に落ちつき払って暮らしている。ただ一眼ひとめ見たが最後! 見た人は彼女の魔力から金輪際こんりんざい、免のがるる事は出来ない。あの色はただの赤ではない。屠ほふられたる囚人しゅうじんの血が、自おのずから人の眼を惹ひいて、自から人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。
見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものはただこの一輪である。しばらくするとまたぽたり落ちた。あの花は決して散らない。崩くずれるよりも、かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練みれんのないように見えるが、落ちてもかたまっているところは、何となく毒々しい。またぽたり落ちる。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。花が静かに浮いている辺あたりは今でも少々赤いような気がする。また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あれが沈む事があるだろうかと思う。年々ねんねん落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶とけ出して、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬ間まに、落ちた椿のために、埋うずもれて、元の平地ひらちに戻るかも知れぬ。また一つ大きいのが血を塗った、人魂ひとだまのように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。
こんな所へ美しい女の浮いているところをかいたら、どうだろうと思いながら、元の所へ帰って、また煙草を呑のんで、ぼんやり考え込む。温泉場ゆばの御那美おなみさんが昨日きのう冗談じょうだんに云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。心は大浪おおなみにのる一枚の板子いたごのように揺れる。あの顔を種たねにして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長とこしなえに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画えでかけるだろうか。かのラオコーンには――ラオコーンなどはどうでも構わない。原理に背そむいても、背かなくっても、そう云う心持ちさえ出ればいい。しかし人間を離れないで人間以上の永久と云う感じを出すのは容易な事ではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝ってはすべてを打うち壊こわしてしまう。と云ってむやみに気楽ではなお困る。一層いっそほかの顔にしては、どうだろう。あれか、これかと指を折って見るが、どうも思おもわしくない。やはり御那美さんの顔が一番似合うようだ。しかし何だか物足らない。物足らないとまでは気がつくが、どこが物足らないかが、吾われながら不明である。したがって自己の想像でいい加減に作り易かえる訳に行かない。あれに嫉
しっとを加えたら、どうだろう。嫉
では不安の感が多過ぎる。憎悪ぞうおはどうだろう。憎悪は烈はげし過ぎる。怒いかり? 怒では全然調和を破る。恨うらみ? 恨でも春恨しゅんこんとか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒じょうしょのうちで、憐あわれと云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情じょうで、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟とっさの衝動で、この情があの女の眉宇びうにひらめいた瞬時に、わが画えは成就じょうじゅするであろう。しかし――いつそれが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微笑うすわらいと、勝とう、勝とうと焦あせる八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。
がさりがさりと足音がする。胸裏きょうりの図案は三分ぶ二で崩くずれた。見ると、筒袖つつそでを着た男が、背せへ薪まきを載のせて、熊笹くまざさのなかを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来たのだろう。
「よい御天気で」と手拭てぬぐいをとって挨拶あいさつする。腰を屈かがめる途端とたんに、三尺帯に落おとした鉈なたの刃はがぴかりと光った。四十恰好がっこうの逞たくましい男である。どこかで見たようだ。男は旧知のように馴々なれなれしい。
「旦那だんなも画を御描おかきなさるか」余の絵の具箱は開あけてあった。
「ああ。この池でも画かこうと思って来て見たが、淋さみしい所だね。誰も通らない」
「はあい。まことに山の中で……旦那あ、峠とうげで御降おふられなさって、さぞ御困りでござんしたろ」
「え? うん御前おまえはあの時の馬子まごさんだね」
「はあい。こうやって薪たきぎを切っては城下じょうかへ持って出ます」と源兵衛は荷を卸おろして、その上へ腰をかける。煙草入たばこいれを出す。古いものだ。紙だか革かわだか分らない。余は寸燐マッチを借かしてやる。
「あんな所を毎日越すなあ大変だね」
「なあに、馴れていますから――それに毎日は越しません。三日みっかに一返ぺん、ことによると四日目よっかめくらいになります」
「四日に一返ぺんでも御免だ」
「アハハハハ。馬が不憫ふびんですから四日目くらいにして置きます」
「そりゃあ、どうも。自分より馬の方が大事なんだね。ハハハハ」
「それほどでもないんで……」
「時にこの池はよほど古いもんだね。全体いつ頃からあるんだい」
「昔からありますよ」
「昔から? どのくらい昔から?」
「なんでもよっぽど古い昔から」
「よっぽど古い昔しからか。なるほど」
「なんでも昔し、志保田しほだの嬢様が、身を投げた時分からありますよ」
「志保田って、あの温泉場ゆばのかい」
「はあい」
「御嬢さんが身を投げたって、現に達者でいるじゃないか」
「いんにえ。あの嬢さまじゃない。ずっと昔の嬢様が」
「ずっと昔の嬢様。いつ頃かね、それは」
「なんでも、よほど昔しの嬢様で……」
「その昔の嬢様が、どうしてまた身を投げたんだい」
「その嬢様は、やはり今の嬢様のように美しい嬢様であったそうながな、旦那様」
「うん」
「すると、ある日、一人ひとりの梵論字ぼろんじが来て……」
「梵論字と云うと虚無僧こもそうの事かい」
「はあい。あの尺八を吹く梵論字の事でござんす。その梵論字が志保田の庄屋しょうやへ逗留とうりゅうしているうちに、その美くしい嬢様が、その梵論字を見染みそめて――因果いんがと申しますか、どうしてもいっしょになりたいと云うて、泣きました」
「泣きました。ふうん」
「ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字は聟むこにはならんと云うて。とうとう追い出しました」
「その虚無僧こもそう
[#ルビの「こもそう」は底本では「こむそう」]
をかい」
「はあい。そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て、――あの向うに見える松の所から、身を投げて、――とうとう、えらい騒ぎになりました。その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする」
「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」
「まことに怪けしからん事でござんす」
「何代くらい前の事かい。それは」
「なんでもよっぽど昔の事でござんすそうな。それから――これはここ限りの話だが、旦那さん」
「何だい」
「あの志保田の家には、代々だいだい気狂きちがいが出来ます」
「へええ」
「全く祟たたりでござんす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃はやします」
「ハハハハそんな事はなかろう」
「ござんせんかな。しかしあの御袋様おふくろさまがやはり少し変でな」
「うちにいるのかい」
「いいえ、去年亡なくなりました」
「ふん」と余は煙草の吸殻すいがらから細い煙の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は薪まきを背せにして去る。
画えをかきに来て、こんな事を考えたり、こんな話しを聴くばかりでは、何日いくにちかかっても一枚も出来っこない。せっかく絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも下絵したえをとって行こう。幸さいわい、向側の景色は、あれなりで略纏ほぼまとまっている。あすこでも申もうし訳わけにちょっと描かこう。
一丈余りの蒼黒あおぐろい岩が、真直まっすぐに池の底から突き出して、濃こき水の折れ曲る角かどに、嵯々ささと構える右側には、例の熊笹くまざさが断崖だんがいの上から水際みずぎわまで、一寸いっすんの隙間すきまなく叢生そうせいしている。上には三抱みかかえほどの大きな松が、若蔦わかづたにからまれた幹を、斜ななめに捩ねじって、半分以上水の面おもてへ乗り出している。鏡を懐ふところにした女は、あの岩の上からでも飛んだものだろう。
三脚几さんきゃくきに尻しりを据すえて、面画に入るべき材料を見渡す。松と、笹と、岩と水であるが、さて水はどこでとめてよいか分らぬ。岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。熊笹は、水際でとまらずに、水の中まで茂り込んでいるかと怪あやしまるるくらい、鮮あざやかに水底まで写っている。松に至っては空に聳そびゆる高さが、見上げらるるだけ、影もまたすこぶる細長い。眼に写っただけの寸法ではとうてい収おさまりがつかない。一層いっその事、実物をやめて影だけ描くのも一興だろう。水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけではつまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつまらない。どう工夫くふうをしたものだろうと、一心に池の面おもを見詰める。
奇体なもので、影だけ眺ながめていてはいっこう画にならん。実物と見比べて工夫がして見たくなる。余は水面から眸ひとみを転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移して行く。一丈の巌いわおを、影の先から、水際の継目つぎめまで眺めて、継目から次第に水の上に出る。潤沢じゅんたくの気合けあいから、皴皺しゅんしゅの模様を逐一ちくいち吟味ぎんみしてだんだんと登って行く。ようやく登り詰めて、余の双眼そうがんが今危巌きがんの頂いただきに達したるとき、余は蛇へびに睨にらまれた蟇ひきのごとく、はたりと画筆えふでを取り落した。
緑みどりの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩いろどる中に、楚然そぜんとして織り出されたる女の顔は、――花下かかに余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖ふりそでに余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。
余が視線は、蒼白あおじろき女の顔の真中まんなかにぐさと釘付くぎづけにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯たいくを伸のせるだけ伸して、高い巌いわおの上に一指も動かさずに立っている。この一刹那いっせつな!
余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。夕日は樹梢じゅしょうを掠かすめて、幽かすかに松の幹を染むる。熊笹はいよいよ青い。
また驚かされた。
十一
山里やまざとの朧おぼろに乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら仰数あおぎかぞう春星しゅんせい一二三と云う句を得た。余は別に和尚おしょうに逢う用事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿を出いでて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石磴せきとうの下に出た。しばらく不許葷酒入山門くんしゅさんもんにいるをゆるさずと云う石を撫なでて立っていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。
トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召おぼしめしに叶かのうた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力じりきで綴つづる。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀を汲くんだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層の無責任である。スターンは自分の責任を免のがれると同時にこれを在天の神に嫁かした。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥溝どぶの中に棄すてた。
石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登って佇たたずむとき何となく愉快だ。それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙然もくねんとして、吾影を見る。角石かくいしに遮さえぎられて三段に切れているのは妙だ。妙だからまた登る。仰いで天を望む。寝ぼけた奥から、小さい星がしきりに瞬まばたきをする。句になると思って、また登る。かくして、余はとうとう、上まで登り詰めた。
石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五山ごさんなるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺えんがくじの塔頭たっちゅうであったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、黄きな法衣ころもを着た、頭の鉢はちの開いた坊主が出て来た。余は上のぼる、坊主は下くだる。すれ違った時、坊主が鋭どい声でどこへ御出おいでなさると問うた。余はただ境内けいだいを拝見にと答えて、同時に足を停とめたら、坊主は直ただちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。あまり洒落しゃらくだから、余は少しく先せんを越された気味で、段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木の間に隠した。その間あいだかつて一度も振り返った事はない。なるほど禅僧は面白い。きびきびしているなと、のっそり山門を這入はいって、見ると、広い庫裏くりも本堂も、がらんとして、人影はまるでない。余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落しゃらくな人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれたかと思うと、何となく気分が晴々せいせいした。禅ぜんを心得ていたからと云う訳ではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。ただあの鉢の開いた坊主の所作しょさが気に入ったのである。
世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴やつで埋うずまっている。元来何しに世の中へ面つらを曝さらしているんだか、解げしかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀しりに探偵たんていをつけて、人のひる屁への勘定かんじょうをして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後うしろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々にんにん勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差さし控ひかえるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。
こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。興来きたれば興来るをもって方針とする。興去れば興去るをもって方針とする。句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦ぼうぎょの方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放曠ずいえんほうこうの方針である。
仰数あおぎかぞう春星しゅんせい一二三の句を得て、石磴せきとうを登りつくしたる時、朧おぼろにひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。絶句ぜっくは纏まとめる気にならなくなった。即座にやめにする方針を立てる。
石を甃たたんで庫裡くりに通ずる一筋道の右側は、岡つつじの生垣いけがきで、垣の向むこうは墓場であろう。左は本堂だ。屋根瓦やねがわらが高い所で、幽かすかに光る。数万の甍いらかに、数万の月が落ちたようだと見上みあげる。どこやらで鳩の声がしきりにする。棟むねの下にでも住んでいるらしい。気のせいか、廂ひさしのあたりに白いものが、点々見える。糞ふんかも知れぬ。
雨垂あまだれ落ちの所に、妙な影が一列に並んでいる。木とも見えぬ、草では無論ない。感じから云うと岩佐又兵衛いわさまたべえのかいた、鬼おにの念仏ねんぶつが、念仏をやめて、踊りを踊っている姿である。本堂の端はじから端まで、一列に行儀よく並んで躍おどっている。その影がまた本堂の端から端まで一列に行儀よく並んで躍っている。朧夜おぼろよにそそのかされて、鉦かねも撞木しゅもくも、奉加帳ほうがちょうも打ちすてて、誘さそい合あわせるや否やこの山寺やまでらへ踊りに来たのだろう。
近寄って見ると大きな覇王樹さぼてんである。高さは七八尺もあろう、糸瓜へちまほどな青い黄瓜きゅうりを、杓子しゃもじのように圧おしひしゃげて、柄えの方を下に、上へ上へと継つぎ合あわせたように見える。あの杓子がいくつ継つながったら、おしまいになるのか分らない。今夜のうちにも廂ひさしを突き破って、屋根瓦の上まで出そうだ。あの杓子が出来る時には、何でも不意に、どこからか出て来て、ぴしゃりと飛びつくに違いない。古い杓子が新しい小杓子を生んで、その小杓子が長い年月のうちにだんだん大きくなるようには思われない。杓子と杓子の連続がいかにも突飛とっぴである。こんな滑稽こっけいな樹きはたんとあるまい。しかも澄ましたものだ。いかなるこれ仏ぶつと問われて、庭前ていぜんの柏樹子はくじゅしと答えた僧があるよしだが、もし同様の問に接した場合には、余は一も二もなく、月下げっかの覇王樹はおうじゅと応こたえるであろう。
少時しょうじ、晁補之ちょうほしと云う人の記行文を読んで、いまだに暗誦あんしょうしている句がある。「時に九月天高く露清く、山空むなしく、月明あきらかに、仰いで星斗せいとを視みれば皆みな光大ひかりだい、たまたま人の上にあるがごとし、窓間そうかんの竹たけ数十竿かん、相摩戞まかつして声切々せつせつやまず。竹間ちくかんの梅棕ばいそう森然しんぜんとして鬼魅きびの離立笑
りりつしょうひんの状じょうのごとし。二三子相顧あいかえりみ、魄はく動いて寝いぬるを得ず。遅明ちめい皆去る」とまた口の内で繰り返して見て、思わず笑った。この覇王樹さぼてんも時と場合によれば、余の魄はくを動かして、見るや否や山を追い下げたであろう。刺とげに手を触れて見ると、いらいらと指をさす。
石甃いしだたみを行き尽くして左へ折れると庫裏くりへ出る。庫裏の前に大きな木蓮もくれんがある。ほとんど一ひと抱かかえもあろう。高さは庫裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。花があればなお見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間はほがらかに隙すいている。木蓮は樹下に立つ人の眼を乱すほどの細い枝をいたずらには張らぬ。花さえ明あきらかである。この遥かなる下から見上げても一輪の花は、はっきりと一輪に見える。その一輪がどこまで簇むらがって、どこまで咲いているか分らぬ。それにもかかわらず一輪はついに一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が判然はんぜんと望まれる。花の色は無論純白ではない。いたずらに白いのは寒過ぎる。専もっぱらに白いのは、ことさらに人の眼を奪う巧たくみが見える。木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと避さけて、あたたかみのある淡黄たんこうに、奥床おくゆかしくも自みずからを卑下ひげしている。余は石甃いしだたみの上に立って、このおとなしい花が累々るいるいとどこまでも空裏くうりに蔓はびこる様さまを見上げて、しばらく茫然ぼうぜんとしていた。眼に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。
木蓮の花ばかりなる空を瞻みる
と云う句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うている。
庫裏に入る。庫裏は明け放してある。盗人ぬすびとはおらぬ国と見える。狗いぬはもとより吠ほえぬ。
「御免」
と訪問おとずれる。森しんとして返事がない。
「頼む」
と案内を乞う。鳩の声がくううくううと聞える。
「頼みまああす」と大きな声を出す。
「おおおおおおお」と遥かの向むこうで答えたものがある。人の家を訪とうて、こんな返事を聞かされた事は決してない。やがて足音が廊下へ響くと、紙燭しそくの影が、衝立ついたての向側にさした。小坊主がひょこりとあらわれる。了念りょうねんであった。
「和尚おしょうさんはおいでかい」
「おられる。何しにござった」
「温泉にいる画工えかきが来たと、取次とりついでおくれ」
「画工さんか。それじゃ御上おあがり」
「断わらないでもいいのかい」
「よろしかろ」
余は下駄を脱いで上がる。
「行儀がわるい画工さんじゃな」
「なぜ」
「下駄を、よう御揃おそろえなさい。そらここを御覧」と紙燭を差しつける。黒い柱の真中に、土間から五尺ばかりの高さを見計みはからって、半紙を四つ切りにした上へ、何か認したためてある。
「そおら。読めたろ。脚下きゃっかを見よ、と書いてあるが」
「なるほど」と余は自分の下駄を丁寧に揃える。
和尚の室へやは廊下を鍵かぎの手てに曲まがって、本堂の横手にある。障子しょうじを恭うやうやしくあけて、恭しく敷居越しにつくばった了念が、
「あのう、志保田しほだから、画工さんが来られました」と云う。はなはだ恐縮の体ていである。余はちょっとおかしくなった。
「そうか、これへ」
余は了念と入れ代る。室がすこぶる狭い。中に囲炉裏いろりを切って、鉄瓶てつびんが鳴る。和尚は向側に書見しょけんをしていた。
「さあこれへ」と眼鏡めがねをはずして、書物を傍かたわらへおしやる。
「了念。りょううねええん」
「ははははい」
「座布団ざぶとんを上げんか」
「はははははい」と了念は遠くで、長い返事をする。
「よう、来られた。さぞ退屈だろ」
「あまり月がいいから、ぶらぶら来ました」
「いい月じゃな」と障子をあける。飛び石が二つ、松一本のほかには何もない、平庭ひらにわの向うは、すぐ懸崖けんがいと見えて、眼の下に朧夜おぼろよの海がたちまちに開ける。急に気が大きくなったような心持である。漁火いさりびがここ、かしこに、ちらついて、遥かの末は空に入って、星に化ばけるつもりだろう。
「これはいい景色。和尚おしょうさん、障子をしめているのはもったいないじゃありませんか」
「そうよ。しかし毎晩見ているからな」
「何晩いくばん見てもいいですよ、この景色は。私なら寝ずに見ています」
「ハハハハ。もっともあなたは画工えかきだから、わしとは少し違うて」
「和尚さんだって、うつくしいと思ってるうちは画工でさあ」
「なるほどそれもそうじゃろ。わしも達磨だるまの画えぐらいはこれで、かくがの。そら、ここに掛けてある、この軸じくは先代がかかれたのじゃが、なかなかようかいとる」
なるほど達磨の画が小さい床とこに掛っている。しかし画としてはすこぶるまずいものだ。ただ俗気ぞっきがない。拙せつを蔽おおおうと力つとめているところが一つもない。無邪気な画だ。この先代もやはりこの画のような構わない人であったんだろう。
「無邪気な画ですね」
「わしらのかく画はそれで沢山じゃ。気象きしょうさえあらわれておれば……」
「上手で俗気があるのより、いいです」
「ははははまあ、そうでも、賞ほめて置いてもらおう。時に近頃は画工にも博士があるかの」
「画工の博士はありませんよ」
「あ、そうか。この間、何でも博士に一人逢おうた」
「へええ」
「博士と云うとえらいものじゃろな」
「ええ。えらいんでしょう」
「画工にも博士がありそうなものじゃがな。なぜ無いだろう」
「そういえば、和尚さんの方にも博士がなけりゃならないでしょう」
「ハハハハまあ、そんなものかな。――何とか云う人じゃったて、この間逢うた人は――どこぞに名刺があるはずだが……」
「どこで御逢いです、東京ですか」
「いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車とか云うものが出来たそうじゃが、ちょっと乗って見たいような気がする」
「つまらんものですよ。やかましくって」
「そうかな。蜀犬しょっけん日に吠ほえ、呉牛ごぎゅう月に喘あえぐと云うから、わしのような田舎者いなかものは、かえって困るかも知れんてのう」
「困りゃしませんがね。つまらんですよ」
「そうかな」
鉄瓶てつびんの口から煙が盛さかんに出る。和尚おしょうは茶箪笥ちゃだんすから茶器を取り出して、茶を注ついでくれる。
「番茶を一つ御上おあがり。志保田の隠居さんのような甘うまい茶じゃない」
「いえ結構です」
「あなたは、そうやって、方々あるくように見受けるがやはり画えをかくためかの」
「ええ。道具だけは持ってあるきますが、画はかかないでも構わないんです」
「はあ、それじゃ遊び半分かの」
「そうですね。そう云っても善いいでしょう。屁への勘定かんじょうをされるのが、いやですからね」
さすがの禅僧も、この語だけは解げしかねたと見える。
「屁の勘定た何かな」
「東京に永くいると屁の勘定をされますよ」
「どうして」
「ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、臀しりの穴が三角だの、四角だのって余計な事をやりますよ」
「はあ、やはり衛生の方かな」
「衛生じゃありません。探偵たんていの方です」
「探偵? なるほど、それじゃ警察じゃの。いったい警察の、巡査のて、何の役に立つかの。なけりゃならんかいの」
「そうですね、画工えかきには入いりませんね」
「わしにも入らんがな。わしはまだ巡査の厄介やっかいになった事がない」
「そうでしょう」
「しかし、いくら警察が屁の勘定をしたてて、構わんがな。澄すましていたら。自分にわるい事がなけりゃ、なんぼ警察じゃて、どうもなるまいがな」
「屁くらいで、どうかされちゃたまりません」
「わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本橋の真中に臓腑ぞうふをさらけ出して、恥ずかしくないようにしなければ修業を積んだとは云われんてな。あなたもそれまで修業をしたらよかろ。旅などはせんでも済むようになる」
「画工になり澄ませば、いつでもそうなれます」
「それじゃ画工になり澄したらよかろ」
「屁の勘定をされちゃ、なり切れませんよ」
「ハハハハ。それ御覧。あの、あなたの泊とまっている、志保田の御那美さんも、嫁に入いって帰ってきてから、どうもいろいろな事が気になってならん、ならんと云うてしまいにとうとう、わしの所へ法ほうを問いに来たじゃて。ところが近頃はだいぶ出来てきて、そら、御覧。あのような訳わけのわかった女になったじゃて」
「へええ、どうもただの女じゃないと思いました」
「いやなかなか機鋒きほうの鋭するどい女で――わしの所へ修業に来ていた泰安たいあんと云う若僧にゃくそうも、あの女のために、ふとした事から大事だいじを窮明きゅうめいせんならん因縁いんねんに逢着ほうちゃくして――今によい智識ちしきになるようじゃ」
静かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りに応こたうるがごとく、応えざるがごとく、有耶無耶うやむやのうちに微かすかなる、耀かがやきを放つ。漁火いさりびは明滅す。
「あの松の影を御覧」
「奇麗きれいですな」
「ただ奇麗かな」
「ええ」
「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」
茶碗に余った渋茶を飲み干して、糸底いとぞこを上に、茶托ちゃたくへ伏せて、立ち上る。
「門まで送ってあげよう。りょううねええん。御客が御帰おかえりだぞよ」
送られて、庫裏くりを出ると、鳩がくううくううと鳴く。
「鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」
月はいよいよ明るい。しんしんとして、木蓮もくれんは幾朶いくだの雲華うんげを空裏くうりに
ささげている。
寥けつりょうたる春夜しゅんやの真中まなかに、和尚ははたと掌たなごころを拍うつ。声は風中ふうちゅうに死して一羽の鳩も下りぬ。
「下りんかいな。下りそうなものじゃが」
了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の眼が夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。
山門の所で、余は二人に別れる。見返えると、大きな丸い影と、小さな丸い影が、石甃いしだたみの上に落ちて、前後して庫裏の方に消えて行く。
十二
基督キリストは最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚おしょうのごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼は画えと云う名のほとんど下くだすべからざる達磨だるまの幅ふくを掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工えかきに博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利きくものと思っている。それにも関かかわらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢ふくろのように行き抜けである。何にも停滞ていたいしておらん。随処ずいしょに動き去り、任意にんいに作なし去って、些さの塵滓じんしの腹部に沈澱ちんでんする景色けしきがない。もし彼の脳裏のうりに一点の趣味を貼ちょうし得たならば、彼は之ゆく所に同化して、行屎走尿こうしそうにょうの際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵に屁への数を勘定かんじょうされる間は、とうてい画家にはなれない。画架がかに向う事は出来る。小手板こていたを握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色しゅんしょくのなかに五尺の痩躯そうくを埋うずめつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境界きょうがいに入れば美の天下はわが有に帰する。尺素せきそを染めず、寸
すんけんを塗らざるも、われは第一流の大画工である。技ぎにおいて、ミケルアンゼロに及ばず、巧たくみなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武ほぶを斉ひとしゅうして、毫ごうも遜ゆずるところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画えもかかない。絵の具箱は酔興すいきょうに、担かついできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤わらうかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こう云う境きょうを得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。
朝飯あさめしをすまして、一本の敷島しきしまをゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。日は霞かすみを離れて高く上のぼっている。障子しょうじをあけて、後うしろの山を眺ながめたら、蒼あおい樹きが非常にすき通って、例になく鮮あざやかに見えた。
余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙よのなかでもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合きあい一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好しこうで異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自おのずから制限されるのもまた当前とうぜんである。英国人のかいた山水さんすいに明るいものは一つもない。明るい画が嫌きらいなのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色けいしょくをかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝まさっている、埃及エジプトまたは波斯辺ペルシャへんの光景のみを択えらんでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然はっきり出来上っている。
個人の嗜好しこうはどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々われわれもまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏蘭西フランスの絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色けいしょくだとは云われない。やはり面まのあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態うんようえんたいを研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几さんきゃくきを担いで飛び出さなければならん。色は刹那せつなに移る。一たび機を失しっすれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の端はには、滅多めったにこの辺で見る事の出来ないほどな好いい色が充みちている。せっかく来て、あれを逃にがすのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。
襖ふすまをあけて、椽側えんがわへ出ると、向う二階の障子しょうじに身を倚もたして、那美さんが立っている。顋あごを襟えりのなかへ埋うずめて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶あいさつをしようと思う途端とたんに、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃ひらめくは稲妻いなずまか、二折ふたおれ三折みおれ胸のあたりを、するりと走るや否いなや、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九寸すん五分ぶの白鞘しらさやがある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座かぶきざを覗のぞいた気で宿を出る。
門を出て、左へ切れると、すぐ岨道そばみちつづきの、爪上つまあがりになる。鶯うぐいすが所々ところどころで鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑みかんが一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走しわすの頃であった。その時蜜柑山に蜜柑がべた生なりに生る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾顆いくつでも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、樹きの上で妙な節ふしの唄うたをうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ薬種屋やくしゅやへ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりに銃つつの音がする。何だと聞いたら、猟師りょうしが鴨かもをとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。
あの女を役者にしたら、立派な女形おんながたが出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住じょうじゅう芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然しぜんてんねんに芝居をしている。あんなのを美的生活びてきせいかつとでも云うのだろう。あの女の御蔭おかげで画えの修業がだいぶ出来た。
あの女の所作しょさを芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の道具立どうぐだてを背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界に在あって、余とあの女の間に纏綿てんめんした一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語ごんごに絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡めがねから、あの女を覗のぞいて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。
こんな考かんがえをもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届ふとどきである。善は行い難い、徳は施ほどこしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人なんびとに取っても苦痛である。その苦痛を冒おかすためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜ひそんでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸ひさんのうちに籠こもる快感の別号に過ぎん。この趣おもむきを解し得て、始めて吾人ごじんの所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進しょうじんの心を駆かって、人道のために、鼎
ていかくに烹にらるるを面白く思う。もし人情なる狭せまき立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏きょうりに潜ひそんで、邪じゃを避さけ正せいに就つき、曲きょくを斥しりぞけ直ちょくにくみし、弱じゃくを扶たすけ強きょうを挫くじかねば、どうしても堪たえられぬと云う一念の結晶して、燦さんとして白日はくじつを射返すものである。
芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣味を貫つらぬかんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤わらうのである。自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を衒てらうの愚ぐを笑うのである。真に個中こちゅうの消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎げすげろうの、わが卑いやしき心根に比較して他たを賤いやしむに至っては許しがたい。昔し巌頭がんとうの吟ぎんを遺のこして、五十丈の飛瀑ひばくを直下して急湍きゅうたんに赴おもむいた青年がある。余の視みるところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵まことに壮烈である、ただその死を促うながすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子ふじむらしの所作しょさを嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂とぐるの情趣を味あじわい得ざるが故ゆえに、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。
余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在だざいするも、東西両隣りの没風流漢ぼつふうりゅうかんよりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画えなきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。
しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中りょちゅうに人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金きんのみを眺めて暮さなければならぬ。余自みずからも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己おのれさえ、纏綿てんめんたる利害の累索るいさくを絶って、優ゆうに画布裏がふりに往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。
三丁ほど上のぼると、向うに白壁の一構ひとかまえが見える。蜜柑みかんのなかの住居すまいだなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻こしまきをした娘が上あがってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛はぎが出る。脛が出切できったら、藁草履わらぞうりになって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負しょっている。
岨道そばみちを登り切ると、山の出鼻でばなの平たいらな所へ出た。北側は翠みどりを畳たたむ春の峰で、今朝椽えんから仰いだあたりかも知れない。南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末は崩くずれた崖がけとなる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨またいで向むこうを見れば、眼に入るものは言わずも知れた青海あおうみである。
路みちは幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見分みわけのつかぬところに変化があって面白い。
どこへ腰を据すえたものかと、草のなかを遠近おちこちと徘徊はいかいする。椽えんから見たときは画えになると思った景色も、いざとなると存外纏まとまらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに、いつしか描かく気がなくなった。描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでも坐すわった所がわが住居すまいである。染しみ込んだ春の日が、深く草の根に籠こもって、どっかと尻を卸おろすと、眼に入らぬ陽炎かげろうを踏ふみ潰つぶしたような心持ちがする。
海は足の下に光る。遮ぎる雲の一片ひとひらさえ持たぬ春の日影は、普あまねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波の底まで浸しみ渡ったと思わるるほど暖かに見える。色は一刷毛ひとはけの紺青こんじょうを平らに流したる所々に、しろかねの細鱗さいりんを畳んで濃こまやかに動いている。春の日は限り無き天あめが下したを照らして、天が下は限りなき水を湛たたえたる間には、白き帆が小指の爪つめほどに見えるのみである。しかもその帆は全く動かない。往昔入貢そのかみにゅうこうの高麗船こまぶねが遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。そのほかは大千だいせん世界を極きわめて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。
ごろりと寝ねる。帽子が額ひたいをすべって、やけに阿弥陀あみだとなる。所々の草を一二尺抽ぬいて、木瓜ぼけの小株が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜ぼけは面白い花である。枝は頑固がんこで、かつて曲まがった事がない。そんなら真直まっすぐかと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜しゃに構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅べにだか白だか要領を得ぬ花が安閑あんかんと咲く。柔やわらかい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚おろかにして悟さとったものであろう。世間には拙せつを守ると云う人がある。この人が来世らいせに生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。
小供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜ぼけを切って、面白く枝振えだぶりを作って、筆架ひつかをこしらえた事がある。それへ二銭五厘の水筆すいひつを立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠見いんけんするのを机へ載のせて楽んだ。その日は木瓜ぼけの筆架ひつかばかり気にして寝た。あくる日、眼が覚さめるや否いなや、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花は萎なえ葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不審ふしんの念に堪たえなかった。今思うとその時分の方がよほど出世間的しゅっせけんてきである。
寝ねるや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。
寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖に記しるして行く。しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。
出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。停
而矚目。万象帯晴暉。聴黄鳥宛転。観落英紛霏。行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遥随物化。悠然対芬菲。
ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を観みて、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。と唸うなりながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳払せきばらいが聞えた。こいつは驚いた。
寝返ねがえりをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑木ぞうきの間から、一人の男があらわれた。
茶の中折なかおれを被かぶっている。中折れの形は崩くずれて、傾かたむく縁へりの下から眼が見える。眼の恰好かっこうはわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。藍あいの縞物しまものの尻を端折はしょって、素足すあしに下駄がけの出いで立たちは、何だか鑑定がつかない。野生やせいの髯ひげだけで判断するとまさに野武士のぶしの価値はある。
男は岨道そばみちを下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近辺きんぺんに住んでいるとも考えられない。男は時々立ち留どまる。首を傾ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。
余はこの物騒ぶっそうな男から、ついに吾眼をはなす事ができなかった。別に恐しいでもない、また画えにしようと云う気も出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。右から左、左りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男ははたと留った。留ると共に、またひとりの人物が、余が視界に点出てんしゅつされた。
二人は双方そうほうで互に認識したように、しだいに双方から近づいて来る。余が視界はだんだん縮ちぢまって、原の真中で一点の狭せまき間に畳たたまれてしまう。二人は春の山を背せに、春の海を前に、ぴたりと向き合った。
男は無論例の野武士のぶしである。相手は? 相手は女である。那美なみさんである。
余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしや懐ふところに呑のんでおりはせぬかと思ったら、さすが非人情ひにんじょうの余もただ、ひやりとした。
男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。動く景色けしきは見えぬ。口は動かしているかも知れんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を垂たれた。女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。
山では鶯うぐいすが啼なく。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。しばらくすると、男は屹きっと、垂れた首を挙げて、半なかば踵くびすを回めぐらしかける。尋常の様さまではない。女は颯さっと体を開いて、海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは懐剣かいけんらしい。男は昂然こうぜんとして、行きかかる。女は二歩ふたあしばかり、男の踵を縫ぬうて進む。女は草履ぞうりばきである。男の留とまったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右手めては帯の間へ落ちた。あぶない!
するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財布さいふのような包み物である。差し出した白い手の下から、長い紐ひもがふらふらと春風しゅんぷうに揺れる。
片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸てくびに、紫の包。これだけの姿勢で充分画えにはなろう。
紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男の体たいのこなし具合で、うまい按排あんばいにつながれている。不即不離ふそくふりとはこの刹那せつなの有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後しりえに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁えんは紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。
二人の姿勢がかくのごとく美妙びみょうな調和を保たもっていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。
背せのずんぐりした、色黒の、髯ひげづらと、くっきり締しまった細面ほそおもてに、襟えりの長い、撫肩なでがたの、華奢きゃしゃ姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着ふだんぎの銘仙めいせんさえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反そり身に控えたる痩形やさすがた。はげた茶の帽子に、藍縞あいじまの尻切しりきり出立でだちと、陽炎かげろうさえ燃やすべき櫛目くしめの通った鬢びんの色に、黒繻子くろじゅすのひかる奥から、ちらりと見せた帯上おびあげの、なまめかしさ。すべてが好画題こうがだいである。
男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧たくみに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩くずれる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。
二人は左右へ分かれる。双方に気合きあいがないから、もう画としては、支離滅裂しりめつれつである。雑木林ぞうきばやしの入口で男は一度振り返った。女は後あとをも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩行あるいてくる。やがて余の真正面ましょうめんまで来て、
「先生、先生」
と二声ふたこえ掛けた。これはしたり、いつ目付めっかったろう。
「何です」
と余は木瓜ぼけの上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。
「何をそんな所でしていらっしゃる」
「詩を作って寝ねていました」
「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」
「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」
「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」
「実のところはたくさん拝見しました」
「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」
余は唯々いいとして木瓜の中から出て行く。
「まだ木瓜の中に御用があるんですか」
「もう無いんです。帰ろうかとも思うんです」
「それじゃごいっしょに参りましょうか」
「ええ」
余は再び唯々として、木瓜の中に退しりぞいて、帽子を被かぶり、絵の道具を纏まとめて、那美さんといっしょにあるき出す。
「画を御描きになったの」
「やめました」
「ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか」
「ええ」
「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね」
「なにつまってるんです」
「おやそう。なぜ?」
「なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞ描かいたって、描かなくったって、つまるところは同おんなじ事でさあ」
「そりゃ洒落しゃれなの、ホホホホ随分呑気のんきですねえ」
「こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲斐かいがないじゃありませんか」
「なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られても恥はずかしくも何とも思いません」
「思わんでもいいでしょう」
「そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです」
「そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね」
「ホホホ善よくあたりました。あなたは占うらないの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです」
「へえ、どこから来たのです」
「城下じょうかから来ました」
「随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」
「何でも満洲へ行くそうです」
「何しに行くんですか」
「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」
この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、微かすかなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解げせぬ。
「あれは、わたくしの亭主です」
迅雷じんらいを掩おおうに遑いとまあらず、女は突然として一太刀ひとたち浴びせかけた。余は全く不意撃ふいうちを喰くった。無論そんな事を聞く気はなし、女も、よもや、ここまで曝さらけ出そうとは考えていなかった。
「どうです、驚ろいたでしょう」と女が云う。
「ええ、少々驚ろいた」
「今の亭主じゃありません、離縁りえんされた亭主です」
「なるほど、それで……」
「それぎりです」
「そうですか。――あの蜜柑山みかんやまに立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家うちなんですか」
「あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょう」
「用でもあるんですか」
「ええちっと頼まれものがあります」
「いっしょに行きましょう」
岨道そばみちの登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、棕梠しゅろが三四本あって、土塀どべいの下はすぐ蜜柑畠である。
女はすぐ、椽鼻えんばなへ腰をかけて、云う。
「いい景色だ。御覧なさい」
「なるほど、いいですな」
障子のうちは、静かに人の気合けあいもせぬ。女は音おとのう景色もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を見下みおろして平気でいる。余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。
しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を見下している。午ごに逼せまる太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、蒸むし返かえされて耀かがやいている。やがて、裏の納屋なやの方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。
「おやもう。御午おひるですね。用事を忘れていた。――久一きゅういちさん、久一さん」
女は及および腰ごしになって、立て切った障子しょうじを、からりと開あける。内は空むなしき十畳敷に、狩野派かのうはの双幅そうふくが空しく春の床とこを飾っている。
「久一さん」
納屋なやの方でようやく返事がする。足音が襖ふすまの向むこうでとまって、からりと、開あくが早いか、白鞘しらさやの短刀たんとうが畳の上へ転ころがり出す。
「そら御伯父おじさんの餞別せんべつだよ」
帯の間に、いつ手が這入はいったか、余は少しも知らなかった。短刀は二三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足下あしもとへ走る。作りがゆる過ぎたと見えて、ぴかりと、寒いものが一寸すんばかり光った。
十三
川舟かわふねで久一さんを吉田の停車場ステーションまで見送る。舟のなかに坐ったものは、送られる久一さんと、送る老人と、那美さんと、那美さんの兄さんと、荷物の世話をする源兵衛と、それから余である。余は無論御招伴おしょうばんに過ぎん。
御招伴でも呼ばれれば行く。何の意味だか分らなくても行く。非人情の旅に思慮は入らぬ。舟は筏いかだに縁ふちをつけたように、底が平ひらたい。老人を中に、余と那美さんが艫とも、久一さんと、兄さんが、舳みよしに座をとった。源兵衛は荷物と共に独ひとり離れている。
「久一さん、軍いくさは好きか嫌いかい」と那美さんが聞く。
「出て見なければ分らんさ。苦しい事もあるだろうが、愉快な事も出て来るんだろう」と戦争を知らぬ久一さんが云う。
「いくら苦しくっても、国家のためだから」と老人が云う。
「短刀なんぞ貰うと、ちょっと戦争に出て見たくなりゃしないか」と女がまた妙な事を聞く。久一さんは、
「そうさね」
と軽かろく首肯うけがう。老人は髯ひげを掀かかげて笑う。兄さんは知らぬ顔をしている。
「そんな平気な事で、軍いくさが出来るかい」と女は、委細いさい構わず、白い顔を久一さんの前へ突き出す。久一さんと、兄さんがちょっと眼を見合せた。
「那美さんが軍人になったらさぞ強かろう」兄さんが妹に話しかけた第一の言葉はこれである。語調から察すると、ただの冗談じょうだんとも見えない。
「わたしが? わたしが軍人? わたしが軍人になれりゃとうになっています。今頃は死んでいます。久一さん。御前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がいぶんがわるい」
「そんな乱暴な事を――まあまあ、めでたく凱旋がいせんをして帰って来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二三年は生きるつもりじゃ。まだ逢あえる」
老人の言葉の尾を長く手繰たぐると、尻が細くなって、末は涙の糸になる。ただ男だけにそこまでは
だま
を出さない。久一さんは何も云わずに、横を向いて、岸の方を見た。
岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋つないで、一人の男がしきりに垂綸いとを見詰めている。一行の舟が、ゆるく波足なみあしを引いて、その前を通った時、この男はふと顔をあげて、久一さんと眼を見合せた。眼を見合せた両人ふたりの間には何らの電気も通わぬ。男は魚の事ばかり考えている。久一さんの頭の中には一尾の鮒ふなも宿やどる余地がない。一行の舟は静かに太公望たいこうぼうの前を通り越す。
日本橋にほんばしを通る人の数は、一分ぷんに何百か知らぬ。もし橋畔きょうはんに立って、行く人の心に蟠わだかまる葛藤かっとうを一々に聞き得たならば、浮世うきよは目眩めまぐるしくて生きづらかろう。ただ知らぬ人で逢い、知らぬ人でわかれるから結句けっく日本橋に立って、電車の旗を振る志願者も出て来る。太公望が、久一さんの泣きそうな顔に、何らの説明をも求めなかったのは幸さいわいである。顧かえり見ると、安心して浮標うきを見詰めている。おおかた日露戦争にちろせんそうが済むまで見詰める気だろう。
川幅かわはばはあまり広くない。底は浅い。流れはゆるやかである。舷ふなばたに倚よって、水の上を滑すべって、どこまで行くか、春が尽きて、人が騒いで、鉢はち合せをしたがるところまで行かねばやまぬ。腥なまぐさき一点の血を眉間みけんに印いんしたるこの青年は、余ら一行を容赦ようしゃなく引いて行く。運命の縄なわはこの青年を遠き、暗き、物凄ものすごき北の国まで引くが故ゆえに、ある日、ある月、ある年の因果いんがに、この青年と絡からみつけられたる吾われらは、その因果の尽くるところまでこの青年に引かれて行かねばならぬ。因果の尽くるとき、彼と吾らの間にふっと音がして、彼一人は否応いやおうなしに運命の手元てもとまで手繰たぐり寄せらるる。残る吾らも否応いやおうなしに残らねばならぬ。頼んでも、もがいても、引いていて貰う訳には行かぬ。
舟は面白いほどやすらかに流れる。左右の岸には土筆つくしでも生えておりそうな。土堤どての上には柳が多く見える。まばらに、低い家がその間から藁屋根わらやねを出し。煤すすけた窓を出し。時によると白い家鴨あひるを出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の中まで出て来る。
柳と柳の間に的
てきれきと光るのは白桃しろももらしい。とんかたんと機はたを織る音が聞える。とんかたんの絶間たえまから女の唄うたが、はああい、いようう――と水の上まで響く。何を唄うのやらいっこう分らぬ。
「先生、わたくしの画えをかいて下さいな」と那美さんが注文する。久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしている。老人はいつか居眠りをはじめた。
「書いてあげましょう」と写生帖を取り出して、
春風にそら解どけ繻子しゅすの銘は何
と書いて見せる。女は笑いながら、
「こんな一筆ひとふでがきでは、いけません。もっと私の気象きしょうの出るように、丁寧にかいて下さい」
「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画えにならない」
「御挨拶ごあいさつです事。それじゃ、どうすれば画になるんです」
「なに今でも画に出来ますがね。ただ少し足りないところがある。それが出ないところをかくと、惜しいですよ」
「足りないたって、持って生れた顔だから仕方がありませんわ」
「持って生れた顔はいろいろになるものです」
「自分の勝手にですか」
「ええ」
「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」
「あなたが女だから、そんな馬鹿を云うのですよ」
「それじゃ、あなたの顔をいろいろにして見せてちょうだい」
「これほど毎日いろいろになってればたくさんだ」
女は黙って向むこうをむく。川縁かわべりはいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面いちめんのげんげんで埋うずまっている。鮮あざやかな紅べにの滴々てきてきが、いつの雨に流されてか、半分溶とけた花の海は霞かすみのなかに果はてしなく広がって、見上げる半空はんくうには崢
そうこうたる一峰ぽうが半腹はんぷくから微ほのかに春の雲を吐いている。
「あの山の向うを、あなたは越していらしった」と女が白い手を舷ふなばたから外へ出して、夢のような春の山を指さす。
「天狗岩てんぐいわはあの辺ですか」
「あの翠みどりの濃い下の、紫に見える所がありましょう」
「あの日影の所ですか」
「日影ですかしら。禿はげてるんでしょう」
「なあに凹くぼんでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見えます」
「そうでしょうか。ともかく、あの裏あたりになるそうです」
「そうすると、七曲ななまがりはもう少し左りになりますね」
「七曲りは、向うへ、ずっと外それます。あの山のまた一つ先きの山ですよ」
「なるほどそうだった。しかし見当から云うと、あのうすい雲が懸かかってるあたりでしょう」
「ええ、方角はあの辺へんです」
居眠をしていた老人は、舷こべりから、肘ひじを落して、ほいと眼をさます。
「まだ着かんかな」
胸膈きょうかくを前へ出して、右の肘ひじを後うしろへ張って、左り手を真直に伸のして、ううんと欠伸のびをするついでに、弓を攣ひく真似をして見せる。女はホホホと笑う。
「どうもこれが癖で、……」
「弓が御好おすきと見えますね」と余も笑いながら尋ねる。
「若いうちは七分五厘まで引きました。押おしは存外今でもたしかです」と左の肩を叩たたいて見せる。舳へさきでは戦争談が酣たけなわである。
舟はようやく町らしいなかへ這入はいる。腰障子に御肴おんさかなと書いた居酒屋が見える。古風こふうな縄暖簾なわのれんが見える。材木の置場が見える。人力車の音さえ時々聞える。乙鳥つばくろがちちと腹を返して飛ぶ。家鴨あひるががあがあ鳴く。一行は舟を捨てて停車場ステーションに向う。
いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟ごうと通る。情なさけ容赦ようしゃはない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸
じょうきの恩沢おんたくに浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑けいべつしたものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前ひとりまえ何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵てっさくを設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇おどかすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を擅ほしいままにしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢いきおいである。憐あわれむべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛かみついて咆哮ほうこうしている。文明は個人に自由を与えて虎とらのごとく猛たけからしめたる後、これを檻穽かんせいの内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨にらめて、寝転ねころんでいると同様な平和である。檻おりの鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二の仏蘭西革命フランスかくめいはこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜にちやに起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人ごじんに与えた。余は汽車の猛烈に、見界みさかいなく、すべての人を貨物同様に心得て走る様さまを見るたびに、客車のうちに閉とじ籠こめられたる個人と、個人の個性に寸毫すんごうの注意をだに払わざるこの鉄車てっしゃとを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝つかれるくらい充満している。おさき真闇まっくらに盲動もうどうする汽車はあぶない標本の一つである。
停車場ステーション前の茶店に腰を下ろして、蓬餅よもぎもちを眺ながめながら汽車論を考えた。これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。
向うの床几しょうぎには二人かけている。等しく草鞋穿わらじばきで、一人は赤毛布あかげっと、一人は千草色ちくさいろの股引ももひきの膝頭ひざがしらに継布つぎをあてて、継布のあたった所を手で抑えている。
「やっぱり駄目かね」
「駄目さあ」
「牛のように胃袋が二つあると、いいなあ」
「二つあれば申し分はなえさ、一つが悪わるくなりゃ、切ってしまえば済むから」
この田舎者いなかものは胃病と見える。彼らは満洲の野に吹く風の臭においも知らぬ。現代文明の弊へいをも見認みとめぬ。革命とはいかなるものか、文字さえ聞いた事もあるまい。あるいは自己の胃袋が一つあるか二つあるかそれすら弁じ得んだろう。余は写生帖を出して、二人の姿を描かき取った。
じゃらんじゃらんと号鈴ベルが鳴る。切符きっぷはすでに買うてある。
「さあ、行きましょ」と那美さんが立つ。
「どうれ」と老人も立つ。一行は揃そろって改札場かいさつばを通り抜けて、プラットフォームへ出る。号鈴ベルがしきりに鳴る。
轟ごうと音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長蛇ちょうだが蜿蜒のたくって来る。文明の長蛇は口から黒い煙を吐く。
「いよいよ御別かれか」と老人が云う。
「それでは御機嫌ごきげんよう」と久一さんが頭を下げる。
「死んで御出おいで」と那美さんが再び云う。
「荷物は来たかい」と兄さんが聞く。
蛇は吾々われわれの前でとまる。横腹の戸がいくつもあく。人が出たり、這入はいったりする。久一さんは乗った。老人も兄さんも、那美さんも、余もそとに立っている。
車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝えんしょうの臭においの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑すべって、むやみに転ころぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺ながめている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果いんがはここで切れる。もうすでに切れかかっている。車の戸と窓があいているだけで、御互おたがいの顔が見えるだけで、行く人と留まる人の間が六尺ばかり隔へだたっているだけで、因果はもう切れかかっている。
車掌が、ぴしゃりぴしゃりと戸を閉たてながら、こちらへ走って来る。一つ閉てるごとに、行く人と、送る人の距離はますます遠くなる。やがて久一さんの車室の戸もぴしゃりとしまった。世界はもう二つに為なった。老人は思わず窓側まどぎわへ寄る。青年は窓から首を出す。
「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練みれんのない鉄車てっしゃの音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一つ一つ、余等われわれの前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。
茶色のはげた中折帽の下から、髯ひげだらけな野武士が名残なごり惜気おしげに首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合みあわせた。鉄車てっしゃはごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然ぼうぜんとして、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐あわれ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画えになりますよ」と余は那美さんの肩を叩たたきながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟とっさの際に成就じょうじゅしたのである。
Comments