夏目漱石.com
このサイトを検索
home
「額の男」を読む
『伝説の時代』序
『土』に就て
『心』自序
『東洋美術図譜』
『煤煙』の序
こころ
それから
イズムの功過
カーライル博物館
ケーベル先生
ケーベル先生の告別
コンラッドの描きたる自然について
マードック先生の『日本歴史』
一夜
三四郎
三山居士
中味と形式
予の描かんと欲する作品
二百十日
京に着ける夕
人生
余と万年筆
作物の批評
倫敦塔
倫敦消息
僕の昔
元日
入社の辞
写生文
処女作追懐談
初秋の一日
創作家の態度
博士問題とマードック先生と余
博士問題の成行
吾輩は猫である
吾輩は猫である自序
坊ちゃん
坑夫
変な音
夢十夜
子規の画
学者と名誉
岡本一平著並画『探訪画趣』序
幻影の盾
彼岸過迄
思い出す事など
戦争からきた行き違い
手紙
教育と文芸
文壇の趨勢
文士の生活
文芸とヒロイツク
文芸と道徳
文芸の哲学的基礎
文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎
文芸委員は何をするか
文鳥
明暗
明治座の所感を虚子君に問れて
木下杢太郎著『唐草表紙』序
模倣と独立
正岡子規
永日小品
満韓ところどころ
点頭録
無題
現代日本の開化
琴のそら音
田山花袋君に答う
硝子戸の中
私の個人主義
私の経過した学生時代
自然を写す文章
自転車日記
艇長の遺書と中佐の詩
草枕
落第
薤露行
虚子君へ
虞美人草
行人
西洋にはない
趣味の遺伝
道楽と職業
道草
野分
鈴木三重吉宛書簡-明治三十九年
長塚節氏の小説「土」
長谷川君と余
門
高浜虚子著『鶏頭』序
サイトマップ
home
>
木下杢太郎著『唐草表紙』序
私は
貴方あなた
から送って下さった校正刷五百八十
頁ページ
を今日
漸ようや
く読み
了おわ
りました。漸くというと
厭々いやいや
読んだように聞こえるかも知れませんが、決してそんな訳ではないのです。多大の興味ばかりか、其興味に伴う利益をも受けながら、楽しく読み了ったのです。実をいうと私の都合もあり、又活字組込の関係もありして、長短十八篇の間を休み休み通り抜けたのは、批評を依頼した貴方にも御気の毒ですし、またそれを御約束した私にも多少の不便は出て来たに相違ありませんが、此陥欠を避ける手段は御互になかったのですから、それは双方で我慢する事にして、私の御作に対するざっとした考え
丈だけ
を申し上げます。
まずあなたの特色として第一に私の眼に映ったのは、
饒ゆた
かな情緒を
濃こま
やかにしかも
霧きり
か
霞かすみ
のように、ぼうっと写し出す
御手際おてぎわ
です。
何故なぜ
ぼうっとしているかというと、あなたの筆が充分に
冴さ
えているに
拘かか
わらず、あなたの描く景色なり、小道具なりが、
朧月おぼろづき
の
暈かさ
のように何等か詩的な
聯想れんそう
をフリンジに帯びて、其本体と共に、読者の胸に流れ込むからです。私は特に流れ込むという言葉を
此所ここ
に用いました。もともと淡い影のような像ですから、胸を突つくのでも、鋭く刺すのでもない様です。あなたの書いたもののうちには、人が
気狂きちがい
になる所があります。人が短刀で自殺する所も、
短銃ピストル
で死ぬ所もあります。
是等これら
は大概裏から書くか、又は
極ごく
簡単に叙し去って
仕舞しま
われるので、当り前の場合でも、それ程苦痛に近い強烈な
刺戟しげき
を読者に与えないかも知れませんが、それでも、
若も
し以上に述べたような詩的の
雰囲気ふんいき
の中で事が起らなかったなら、ああした淡い好い感じは与えられますまい。
此ぼうっとした印象が、美的な快感を
損そこな
わない程度の軽い哀愁として、読者の胸にいつの間にか忍び込む理由を、客観的に翻訳すると色々な物象として排列されます。其内で私は歴史的に読者の過去を
蕩揺とうよう
する、草双紙とか、薄暗い倉とか、
古臭ふるくさ
い
行灯あんどん
とか、または旧幕時代から連綿とつづいている旧家とか、温泉場とかを第一に
挙あ
げたいと思います。過去はぼんやりしたものです。そうして
何処どこ
かに
懐なつ
かしい匂いを持っています。あなたはそれを
巧たくみ
に使いこなして居るのでしょう。
単に歴史上の過去ばかりではありません、あなたは自分の幼時の追憶を、今から回顧して忘れられない美くしい夢のように叙述しています。私は一、二、三、四、と段々読んで行くうちに此種の情調が、私の周囲を
蜘蛛くも
の糸の如く取り巻いて、散文的な私を、
何時いつ
の間にか夢幻の世界に連れ込んで行ったのをよく記憶しています。私の心は次第々々に其中に引き込まれて、遂に「
珊瑚樹さんごじゅ
の
根付ねつけ
」迄行って全くあなたの為に
擒とりこ
にされて仕舞ったのです。だから幼時の記憶として
其儘そのまま
を叙述していない「
夷講えびすこう
の夜の事であった」に至って
却かえ
って失望しようとしたのです。
私は此種の
筆致ひっち
を解剖して第二番目に遠くに聞こえる物売の声だの、ハーモニカの節だの、
按摩あんま
の
笛ふえ
の音だのを挙げたいと思います。
凡すべ
て声は聴いているうちにすぐ消えるのが常です。だから
其所そこ
には現在がすぐ過去に変化する無常の観念が
潜ひそ
んでいます。そうして其過去が過去となりつつも、
猶なお
意識の端に幽霊のような
朧気おぼろげ
な姿となって
佇立たたず
んでいて、現在と結び付いているのです。声が一種切り捨てられない夢幻的な情調を構成するのは是が為ではないでしょうか。
新内しんない
とか
端唄はうた
とか
歌沢うたざわ
とか
浄瑠璃じょうるり
とか、
凡すべ
てあなたのよく道具に使われる音楽が、其上に専門的な趣をもって、読者の心を軽く
且か
つ哀れに動かすのは
勿論もちろん
の事ですから申し上げる必要もないでしょう。
然しか
しあまり自分の好尚に
溺おぼ
れて
遣や
り過ぎた
痕迹こんせき
を残したのもないとは云われません。第一編の「
硝子ガラス
問屋」の中にはその筆があまり濃く出過ぎてはいますまいか。
叙景に於てもあなたは矢張り同じ筆法で読者の眼を
朦朧もうろう
と
惹ひ
き
付つ
ける事が
好すき
であるように見受けました。要するに水でも
樹き
でも、人の顔でも
凡すべ
てあなたの眼にうつるものは、決して彫刻的にあなたを
刺戟しげき
していないように見えます。全く絵画的にあなたの
眸ひとみ
を
彩いろ
どるのだろうと思います。しかもアンプレショニストのそれの如く極めて柔かです。そうして
何処どこ
かに判然しないチャームを持っています。だから私は「
荒布橋あらめばし
」の冒頭に出てくる
燕つばめ
の飛ぶ様子や、「
夷講えびすこう
」の酒宴の有様を叙するくだりに出会った時、大変驚ろいたのです。二つのものは平生のあなたの筆で書きこなされたものとは思えない位硬いのです。
要するに貴方の小説に有り余る程出てくるのは一種独特のムードでしょう。だから
夫それ
がまとまらない上に、筋が通らないとか、又は主人公の哲学観などが露骨に出てくると、一方が一方を殺して、少し平生の
御手際おてぎわ
に似合わない段違いのものが出来はしまいかと疑われます。「荒布橋」とか、「岡田君の日記」とか、「六月の夜」の一部分とかになると、
其所そこ
に手荒で変に不調和なものが
露あら
われているようです。其代りよし気分
丈だけ
のものでも筋のまとまらない「
河岸かし
の夜」といったような、(其中には
六む
ずかしい議論も織り込まれてはいるが)ただ装飾的で
左程さほど
他ひと
の情緒をそそる事の出来ないものもあると申し添えなければならなくなります。悪口の
序ついで
だから、「北より南へ」という短篇の評も
此処ここ
に付け加えて置きたいと思います。ああ云った調子のものは、アナトール・フランスの短篇に
沢山たくさん
あります。そうして
遺憾いかん
ながら彼の方が貴方よりずっと
旨うま
いと思います。
あなたの作に就いて情調とか、ムードとか云うものを
挙あ
げて、それを具合好く説明すれば、既に大半の批評は出来上ったように考えられるのですが、其ムードを作り上げるために、
河岸かし
の
寿司屋すしや
とか、通りの丸花とか、
乃至ないし
は坊間の音曲など
丈だけ
が道具になっているという意味では決してないのです。あなたの書き下す人間が、人間として一人前に活動しつつ、同時に其一篇のムードを構成している事は疑もない事実です。亮さんでも、京さんでも、彼等のする事は皆此両様の主意を同時に満足させてるではありませんか。「三人の
従兄弟いとこ
」などになると、其上に又親父さんの青年に対する反抗的な感情が一篇の主意もしくは哲理として後の方に出ています。
次にあなたの理解力に就いて一言其特色を述べたいと思います。あなたの頭の働らきは全く科学的でありながら、其
濃こま
やかな点が、あなたの情緒の描写によく調和して、綿密によく行き渡っています。そうして不思議にもそれが普通のありふれた作物のように、くだくだしくならないのです。いくら微細な心的現象の解剖でも、又は外観からくる人間の精密な描写でも、決して
干乾ひから
びていません。必ず委曲要領をつくすのみならず、
其所そこ
にあなたの独得の一種の
趣おもむき
が
漂ただよ
っているのです。私の見る所によると其趣はあなたの観察が突飛に走らない程度で、場合々々に適当な新らしい
刺戟しげき
を読者に与え得るからだろうと思います。「霊岸島の自殺」や「船室」の前半の如きは、その方面のいい作例と見て
差支さしつかえ
ないでしょう。ことに前者に於て、ある男とある女の性的関係の階級等差が、あれ程細かく書いてありながら、
些ちっ
とも
卑猥ひわい
な心持を起させずに、ただ
精緻せいち
な観察其物として、他をぐいぐい引き付けて行く処などは、
何ど
うしても
旨うま
いと云わなければなりません。此小説は主人公が東京へ出てからの心の変化に、前半程
緻密ちみつ
な
且か
つ穏当な、芸術的描写が欠けているため、多少のむらがあると思いますが、世間でいう小説の意味から批判すると、或は圧巻の作かも知れません。
要するに貴方の書き方は
絹漉きぬご
し豆腐のように、又婦人の
餅肌もちはだ
のように柔らかなのです、上部ばかり手触りが好いのかと思うと、中味迄ふくふくしているのです。線でいうと、
外ほか
の人の文章が直線で出来ているのに反して、あなたのは
何処どこ
も
婉曲えんきょく
な曲線の配合で成り立っているような気がします。しかも其曲線のカーヴが非常に細かいのです。外の人が一尺で
継つ
ぎ
易か
える所を、あなたは
僅わず
か一寸か二寸の長さで細かに調子よく継ぎ足しては前へ進んで行くとしか形容出来ません。
其所そこ
にあなたの作物には、他に発見する事の出来ないデリケートな美くしさが伏在しているのでしょう。もう一つ比喩を改めて云えば、あなたの文章は
楷書かいしょ
でなくって
悉ことごと
く草書です。それも懐素のような奇怪な又
飄逸ひょういつ
なものではありません、もっと柔らかに、もっと穏やかに、そうして時々粋な所を
仄ほのめ
かすといったような草書です。
此冗長な手紙が、もし貴方の小説集の序文として御役に立つならば
何ど
うぞ御使い下さい。私は貴方に対する愉快な義務として、それを認めたのですから。
一月十八日夜
夏目金之助
木下杢太郎様
Comments